第二十七回 2021年6月22日 私ががんで死にたいと考える理由

友人を相次ぐ突然の死で亡くして

「私は、がんで死にたい」

そもそも、人間の死亡率は100%。死ななかった人は一人もいません。さて、その死に方ですが、「ピンピンコロリ」が、いまの日本人の理想と言われます。ずっとピンピンと元気で長生きをして、突然コロリと苦しまずに死にたいというわけです。

実は、最近、がん医療に携わる親しい医者を立て続けに亡くしました。47歳と62歳の若さです(合掌)。 ともに、仕事場での、何の前触れもない突然の死で、おそらく、心筋梗塞(こうそく)と思われます。まさに、「ピンピンコロリ」型の亡くなり方と言えます。

しかし、私は、心臓発作などで、ある日突然死ぬのは、ゴメンです。やり残したこともありますし、燃やしておかなければならないものも山ほどあります。パソコンのデータはいったいどうなるのでしょうか。遺書だって書いておきたいですね。やはり、人生を整理し、締めくくる時間がほしいです。

がんで死ぬまでには数年の猶予が

がんは治らないと分かってからも、亡くなるまでには数年の猶予があります。そして、死の直前まで、痛みなどの症状をとって、うまくつきあえば普通に生活できる病気です。

がんは人生の縮図、時計の針の回る速さがアップするだけのことです。つまり、がんで死ぬことは特別なことではないのです。悠久の時の流れのなかでは、しょせん人生はほんの一瞬です。そして、よい人生かどうかは、時間の長さとは関係ないはずです。

今の日本人は、死なないという錯覚にとりつかれているように思います。しかし、がんは、命には限りがあることを思い出させてくれます。ラテン語に、メメント・モリという言葉があります。「死ぬことを忘れるな」という意味の警句ですが、古代ローマでは、将軍の凱旋(がいせん)のパレードの際にも使われたと伝えられます。将軍は今日絶頂にあるが、いつ死ぬかわからないといさめたのです。

膀胱がんを経験して

現代において、がんは、まさに、メメント・モリの役割を担っています。

以前も書きましたが、私もがん経験者です。2018年の年末に、膀胱(ぼうこう)がんの「内視鏡切除」を受けました。まだ、2年半くらいしか経っていませんから、経験者というより「がん患者」と呼ぶべきかもしれません。

日本人男性の3人に2人が、がんになる時代ですから、「がんになることを前提にした人生設計が必要」などと発言してきました。しかし、正直、まさか自分が罹患(りかん)するとは思っていませんでした。私はたばこを吸いませんし、運動は毎日行っていて、体重も若い頃のままです。「なぜ私が」と否認したい気持ちでした。

しかし、私がこのがんにかかった理由などありません。運が悪かったとしかいえないと思います。

所詮(しょせん)、生き物である私たちは、自分が死ぬ、あるいは重い病気になるといったことは本能的に考えないようにプログラムされているのかもしれません。ただし、このことは私にとって、まさにメメント・モリ。よい体験をしたと思っています。

がんになって深まった人生

西行は、「花の下にて春死なむ」と願い、一茶は、「死支度致せ致せと桜かな」と詠みました。かつて、日本人には、死に親しむ伝統があったのですが、いまでは、死は生活にも意識にも存在していません。

私もそうですが、がんになって人生が深まった、生きることのすばらしさがやっと分かった、がんになって良かったという患者さんは少なくありません。

やはり、「がんで死にたい」、と心の底から思います。