トップページ知って得する講座ええやん、朝ごはんに「赤福」。多様な価値観認める社会に

ええやん、朝ごはんに「赤福」。
多様な価値観認める社会に

ここのところ毎日、ヤフーショッピングから再入荷希望商品として、有機穀物で作った天然酵母とベーキングパウダーをいわれていますが、販売元「風と光」で在庫切れで、原料がないために製造ができない状況です。(ベーキングパウダーは6月、天然酵母は7月に入荷予定)パンやケーキをご自宅でお作りになる方が激増したことと天然酵母の場合、その上、原料がドイツのメーカーによることが原因です。

本日のメルマガは、新型コロナウイルスの影響で自宅での食事が増え、料理をつくる負担が増えている方に、料理研究家の土井善晴さんの提言です。

2020/05/24 読売新聞[あすへの考]
【家庭料理は「ケ」】一汁一菜でいいんです…料理研究家土井善晴氏63

新型コロナウイルスの影響で、食をめぐる風景が変わった。外食を控え、自宅での食事が当たり前になったが、料理の回数が増えて作り手の負担となっている。多くの人を縛るのは、「家庭料理はかくあるべし」という固定観念だ。食文化を見続け、日本らしい食を提案する料理研究家の土井善晴さんはもっと日本人が生きやすくなるために、「一汁一菜」というシンプルなスタイルで「食の初期化」を説く。家庭料理の世界から見た日本社会の変化と多様性について語ってもらった。(編集委員 宮智泉)

コロナで大変。ただ、毎日の食卓「ハレ」ではない

新型コロナウイルスの感染拡大は、食生活に大きな影響を及ぼしています。自宅で過ごす時間が圧倒的に増え、特に女性が家族のために食事を作る回数が増えました。SNSでは、「大変だ」「料理なんかしたくない」という内容のつぶやきもたくさん見かけます。女性が悲鳴を上げている。それでもなおかつ「料理を作らなければならない」と思っています。

日本社会が食べることに困らなくなり、ぜいたくが当たり前になって、家庭の中まで入り込んできた。レストランで食べる料理のように、味付けや完成度までが家庭料理の基準になってしまっているのです。

昭和時代は男性が働き、女性が家を支えるという、分業ができていました。その後、女性が外で働くようになり、一層忙しくなったにもかかわらず、家庭料理というもののハードルが非常に高くなっていきました。

よく野球選手やアスリートと結婚した芸能人が、いかに品数多く料理を作るかを誇ります。いつの間にかこうして食卓に並ぶ料理の品数が多いことや豪華であることが当たり前になった。そして、食べる人ばかりが偉くなっている風潮があります。

2016年に「一汁一菜でよいという提案」という本を書きました。

きっかけとなったのは、「大人の食育」というテーマで行っていた勉強会でのことです。たくさんの人が来てくれましたが、晩ご飯に何を作ったらいいのかわからないという子育て中の女性らが多かった。「家族のために悩むのはすばらしい」と軽く考えていましたが、本当に苦しんでいるとは思わなかった。みんな自信を失っていました。

日本には、民俗学者の柳田国男が言った「ハレ」と「ケ」という生活習慣の概念があります。神様に祈り感謝する祭りなど特別な状態である「ハレ」のような食事を、多くの人が毎日の家庭料理にもイメージしているのです。家庭料理は日常である「ケ」です。毎日の食卓が華やかである必要はないのです。

料理をして食べることは、生きるための基本の行為。何かに強制されたり義務感で料理をしたりするのはつらい。生きることそのものまでつらくなりかねません。

でも、自分自身が核になるものを持っていれば、自信が持てるし、もっと自由になれる。そう考えたのが「一汁一菜」という提案でした。いわば「食の初期化」。持続可能なスタイルです。

ご飯を炊いて、具だくさんのみそ汁を作る。具は何でもいい。あとは漬物。料理の上手下手もないし、作り手に男女も関係ない。ひとりでできる。簡単であるけれど、手抜きではない。

一汁一菜という基本の形があれば、そこからそれぞれの人や家庭が自分たちの新たな形を作っていけるはずです。無理がなければ時間にゆとりができ、生活を楽しめるようになるし、クリエイティブにもなれる。

米もみそも人間が意図してつけた味ではありません。みそは微生物が作り出すもので変化する。すごくおいしい日もあれば、ふつうの日もあります。具によって旬も味わえるし、自然の力も感じられる。長期保存可能な加工品を買いすぎて、結局捨てるなんてこともなくなるから、フードロスもなくなります。

雑誌やネットをみると、美しい料理写真が多数掲載されていますが、現実の生活は違います。私自身のツイッターに載せているみそ汁の写真なども、普通はお見せするものではないかもしれない。でも、これでいいんです。

私の父(料理研究家の土井勝氏)は家庭料理を教えていました。私はプロの世界に修業に入ったから、家庭料理を見下していました。父の経営していた料理学校を継ぐことになり、家庭料理の指導者になることをとても悩みました。

そんなとき、京都で陶芸家の河井寛次郎記念館を訪問し、思想家の柳宗悦らがおこした「民芸運動」と出合いました。人間の暮らしの中に美しいものが生まれる、生活美というものです。家庭料理もそうだと思うようになりました。自由に発想して、楽しさや創造性もある。失敗も含めて経験となり、新たなものも生まれる。だから面白いのです。

ネットの発達で数え切れないほどのレシピやグルメの情報があふれています。情報をだれでも簡単に集められるようになった一方で、大量の情報に踊らされるようにもなりました。幾度となく繰り返される「おいしい」という言葉や、「いいね」の数は情報を均一化、単純化させている。そして私たちの感覚をまひさせている。情報に頼る依存体質になってしまっています。

ええやん、朝ごはんに「赤福」。多様な価値観認める社会に

2018年に私のツイッターの写真が物議を醸しました。

「いただいた赤福のあさごはん。こんでええやん」と記し、伊勢名物のあんこのお菓子「赤福」とみそ汁の写真を載せたところ、「栄養のバランスがとれてない」「健康に悪い」「正しい日本の朝食じゃない」という内容が書き込まれました。

私は「なにいうてんねん。石頭やなー(笑)。こんなんときどき言いたい。どうぞ家の中の多様性を認めてください」と書きました。

栄養のバランスは一回では判断できない。たった一回のことだけで言うなと、ちょっと面白がって反論したのですが、それぞれが「正義」を主張する。

多様性の時代と言われながらも、実際には日本は多様性が認められていないんです。

考古学の世界に「属人器」という言葉があります。日本のように、茶わんや箸がそれぞれの個人に決まっているというものです。家族でもほかの人のものを使わない。これは自分の家の中に存在する個性です。

しかし、日本ではそれを組織や団体の中では実現できない。日本人は家の中でしか、個人として認められていない。日本人にとって自己を主張するのも、甘えるのも家しかないのです。

多様性のある社会とは、漫然といろいろなものがある状態というより、多様な価値観が人の心にあり、それを受け入れる能力を持つ社会だと思います。そのためには共感する力、人の気持ちがわかるといったイマジネーションが必要です。

料理を作って食べる目的は、栄養摂取のためだけではありません。五感を生かし、例えば家族や友人との関係性を深め、失敗を含めた無限の経験が蓄積され、自分の感性も磨かれる。それがイマジネーションのもとにもなっていくのです。

食べることは生きることであり、料理をして食べることは人間らしく生きることです。

多様性と自立によって、日本社会も少し変わっていくのではないかと思います。

◆メモ
一汁一菜とは、ご飯を中心として汁と菜(おかず)を合わせた食事の形のこと。昔の庶民の生活はおかずがつかないことも多く、ご飯、みそ汁、漬物で一汁一菜という形になっていた。

どい・よしはる 料理研究家。1957年、大阪生まれ。スイス、フランスでフランス料理を学び、帰国後、大阪「味吉兆」で修業。92年、「おいしいもの研究所」を設立。十文字学園女子大学特別招聘教授。東大先端科学技術研究センター客員研究員。



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