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「学校給食の無償化」でよろしいでしょうか?

21日は参議院選挙です。
野党の立憲民主党、国民民主党、社民党の公約に、「学校給食の無償化」を掲げています。

読売新聞が7月9日から「和食を食す 給食」を5回に亘って特集しました。

単純に、「無償化」でよろしいのでしょうか。
「和食を食す 給食」の第1回を転載しました。ご一読ください。
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伝統的食生活 学校で継承…献立や大量調理に苦心
2019/07/09 読売新聞[和を食す 給食]<1>
<https://www.yomiuri.co.jp/life/20190708-OYT8T50183/>
 
連載「和を食す」第9部は「給食」の現状と課題を探る。
米飯給食は広がっているが、和食の献立には苦労も多いようだ。ごはんと牛乳の組み合わせについての議論も続く。家庭で和食離れが進む中、給食に期待され、問われているものとは――。

京都市立下京雅(しもぎょうみやび)小学校で6月中旬、子どもたちが和食の給食を楽しんでいた。「大根葉がシャキシャキして好き」。ご飯茶わんを片手に、おかずに箸を伸ばす。ほとんどが完食した。

京都市内の公立小中学校では4年前から月1回、「和なごみ献立」として和食給食を出している。同市教委は「週4回は米飯給食。和献立では伝統食材や行事食を積極的に入れ、和食の特徴をより強く出している」と話す。

きっかけは、2013年、和食の国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)無形文化遺産登録だ。家庭で和食離れが進む中、次代に継承する場として給食に注目。国立民族学博物館名誉教授の熊倉功夫さんらの意見を取り入れた。

見直したのは献立に限らない。調理器具は大量調理しやすい釜がメインだったが、和食に欠かせない「焼き物」ができない。熱風と水蒸気で調理できるオーブンを順次整備し、サワラの幽庵ゆうあん焼きなどができるようになった。

同小校長の上川依子さんは「和食の料理や京野菜などの話題が、子どもたちから自然に出るようになった」と話す。一方、「様々な料理を食べ、違いを感じるのも大切」とパンを出す日も確保した。

文部科学省の調査によると、18年の米飯給食の実施率は100%。平均で週3・5回だった。パンが中心だった給食に米飯が導入されたのは、1976年の文部省(当時)の局長通達から。米余りが背景にあった。米飯を「日本の伝統的な食生活の根幹」と捉え、米飯給食の推進を打ち出し、2007年には平均週3回の実施を達成した。その後も実施率と実施回数は増えた。

ただ、給食の内容は自治体や学校などの方針で決まるため、地域差が大きい。主食は米飯だが汁物がないなど、和食として不完全な献立もある。

学校給食の献立作成や管理は、管理栄養士や栄養士の資格を持つ栄養教諭や学校栄養職員が担当するが、和食の献立には苦労しているようだ。

全国学校栄養士協議会会長の長島美保子さんは「給食は、栄養の摂取基準や予算、時間内の大量調理など、現場ごとに様々な制限がある」と話す。例えば、摂取基準が昨年改正され、食塩相当量が引き下げられた。「塩分が多くなりがちな汁物はだしを利かせるなど、さらに献立の工夫が必要になった」

長野県立大教授の中沢弥子ひろこさんは「栄養士や管理栄養士を目指す学生も、現代では家庭で和食を食べたり作ったりする経験が少なくなっている」と話す。大学などの養成課程でも、国家試験に向けた栄養学などの履修が中心となるため、給食を通した食育で必要になる郷土食や行事食などの知識は学ぶ機会が少ない。就職後に自分で時間を作り、さらに学ぼうとする人たちもいる。

栄養士向けの取り組みもある。長野県の元学校栄養職員らは14年から「おいしい給食研究会」で現職の栄養教諭ら向けに和食の講習会を開いている。18年度にはワカサギのから揚げ、五目豆、かきたま汁など、地元の食材を活用した和食を教えた。栄養士らが実際に給食で提供したところ、子どもたちは喜んで食べたという。会長の市場祥子さんは「子どもの和食離れと言うが、おいしければ食べる」と強調する。

米からパン、再び米へ

日本の給食は時代とともに変化してきた。農業史や食の思想史が専門の京都大学准教授、藤原辰史さんは、歴史を四つに区分する。昨年刊行した「給食の歴史」(岩波新書)が注目されている。

「萌芽ほうが期」は、主に19世紀後半から太平洋戦争終戦まで。

近代の給食は、1889年に山形県鶴岡町の私立忠愛小学校で、僧侶たちが托鉢(たくはつ)で得た資金で昼食を出したのが始まりとされる。公的な給食が広がる契機が、1923年の関東大震災。栄養学者・佐伯矩(ただす)率いる団体や東京市が、被災児童や貧困児童の救済策として給食を拡大した。その後、東北の凶作を背景に、32年に国庫による助成が始まる。「19世紀後半から給食が広がるのは、日本だけでなく世界史的な動き。不況などによる貧困対策だった」と藤原さんは指摘する。戦時中は、戦力増強という目的が強調されるが、食糧事情は悪化していく。

「占領期」は、終戦からアメリカなどの救援団体「ララ」による物資の寄贈が終わる52年にかけて。米からパン・ミルク(脱脂粉乳)へと、給食の大転換期だった。日本の食事は栄養バランスが悪いというアメリカの配慮と、食糧難で国が米を用意できなかったことが理由。46年には、文部、厚生、農林3省次官通達が出され、全国的に給食を展開することになった。

「発展期」は、その後70年代にかけて。アメリカからの支援が終わり、財政的な理由で、給食は一時存続が危ぶまれた。しかし、水害などの災害が相次ぎ、再度評価される。学校給食法で法制化も実現した。一方で、小麦など食糧のアメリカ依存も進む。「冷戦下の日米関係は、軍事だけでなく食の領域でも強まった。給食はその代表」

「行革期」は、70年代以降。給食も合理化が求められ、複数の学校の給食を一括して作る「センター方式」が広がった。一方で保護者や学校の給食担当者らが、給食の質の改善を求める運動を活発化させた。

藤原さんは「今もこの流れは続いていると言える。給食の質は、地域格差が広がっている。早急にチェックされるべきだ」と話す。


2019/07/10[和を食す 給食]<2>
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