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倉本聰「日本はリッチだけど幸せじゃない」

1月20日の日経ビジネスONLINEより転載

戦後70年となる今年、日経ビジネスオンラインでは特別企画として、戦後のリーダーたちが未来に託す「遺言」を連載していきます。この連載は日経ビジネス本誌の特集「遺言 日本の未来へ」の連動企画です。第5回は、脚本家として有名な倉本聰氏。北海道・富良野を舞台にしたテレビドラマなどの脚本を手がけ、作品を通して日本や日本人のあり方を問うてきた。倉本氏は日本人へ何を遺すのか。(日野なおみ)

僕が塾長を務める「富良野自然塾」の季刊誌「カムイミンタラ」でも、「昭和からの遺言」という連載をやっているんですね。そこでも触れているんだけど、やっぱり平成になって、いや21世紀になってから、世の中ものすごく変わったという気がしますね。それも気が付かないうちに。

僕が北海道の富良野に移住したのは1977年のことです。豊かさに対する不安があったからでした。ちょうどバブルが始まる頃だったんですが、僕の中には不安感がすごくあった。豊かになることは嬉しいことなんだけれども、こんなに豊かになっちゃっていいんだろうか、と感じてね。

戦時中は貧しい思いもしましたから、戦後、日本が多少豊かになった頃は良かったと思いましたよね。1960年とか1970年ぐらいのことです。その頃が一番、物質的にも精神的にも満たされていたんではないでしょうか。

「豊か」という言葉を辞書で引くと、「リッチにして幸せなこと」とあるんです。幸せというのは今に満ち足りていることです。日本はリッチではあるけど、幸せというのがなくなっちゃっている。そんな気がするんです。

今くらい豊かになっても、経済界は常に右肩上がりを求めますよね。それも、この右肩上がりというのは複利計算でしょう。だけど、我々は物を食って生きているわけです。ITや金融では飯は作れませんからね。

食事というのは、水も酸素も含めて全部自然から来ています。そして自然界には右肩上がりのものはないんですよ。毎年同じ量しか生み出せない。生産量を上げるには土地を広げるとか、そういうことをしないとダメなんですね。

「日本」という恐ろしいスーパーカー

それなのに、世の中の人たちはみんな現状に満足できず、「もっと良くしろ、もっと良くしろ」と年がら年中言っている。みんながもっと良くすることに慣れちゃって、政治から経済から、お国を挙げてみんなが今に満足しない。これは誠におかしいでしょう。

経済界で言われる「前年比」という言葉も、意味が分からないんです。前年と比べて伸びていないとダメと皆さん言いますが、僕は前年と同じでいいじゃないかと思うんです。むしろ前年から減らすべきだという気もする。前に戻さないと無理ですよ。

僕たちは戦後、アメリカに追い付け追い越せでやってきました。そして、日本というピカピカのスーパーカーができあがった。だけど、このスーパーカーには付け忘れた装置が2つあったんですね。それが、ブレーキとバックギアです。そんなクルマには怖くて乗れないでしょう。それなのに誰も何も言わないんです。これは恐ろしいことですよ。

テレビ界っていうのは異常だった

僕が作品を通して描き続けてきたのは、まさにこういうことです。「何が満ち足りるということか」。そこに尽きますね。

僕は自然の中で暮らしてきたし、自分の物の考え方を自然の中で作ってきた。自然の摂理に照らし合わせると、今の日本の「前年比感覚」は自然と矛盾している気がするんです。

テレビの仕事をし始めた頃からそう感じていましたね。テレビ界っていうのは異常ですからね、やっぱり。

当時、テレビの中の仕事をやっていると、機械がどんどん開発されていきました。録画機を見ても、まずは4分の3インチのビデオテープが家庭用向けに開発された。これはとても嬉しかったですよ。リアルタイムで視聴できない時間もありますからね。保存もできますし、とても便利だった。それが今度はVHSになって、DVDになったでしょう。

DVDになると保存がコンパクトになるから、嬉しいこともある。ただ、それでVHSはどうしたらいいのという話になりますよね。その前にはレーザーディスクというのもありました。レーザーディスクはまだうちに残っていますよ。処理のしようがないんです。

ほかにもあります。例えば今は携帯電話の時代になったけれども、携帯が普及したからといって、自宅の固定電話を廃棄したという人は何%くらいいるのでしょう。実は固定電話も意外と残っているんです。本当なら、携帯があれば固定電話はいらないはずです。だけど、それがあることで余計な電力を消費しちゃう。

お袋が夜なべして繕った靴下の価値

つまり、論理が狂ってきているんですね。そもそもは「需要があるから供給がなされる」というのが筋でした。「腹が減るから食料が欲しい」という需要から物事は始まってきたんです。だけど戦後、資本主義が入ってきちゃった後は、供給が王座に就いた。これだけ供給できるから、それに需要を合わせろという思想に転換してしまった。

そんな無茶なと思いましたね。「これからは再生産できるものは作っちゃいけないんだ」「壊れるものを作れ」「壊れたら直すんじゃなくて、捨てて新しく買え」という言い方をされたけれども、それが僕にはとてもショッキングでした。

100万円のクルマを買って1年間使うと、価値が50万円に下がるというのが今の考え方ですよね。でも僕たちが子供だった時代は違った。100円の靴下を1年間使うと、かかととつま先に穴が開きます。そうすると、お袋やばあさんが夜なべで靴下を繕ってくれる。だから1年間履いた靴下は、かかととつま先が分厚くなってごろごろするものだったんですね。

じゃあ、その分厚くなった靴下の価値が50円に落ちているかというと、逆なんです。お袋やばあさんが夜なべしている後ろ姿が焼き付いているから、200円、300円の価値に上がっちゃって、捨てるどころか宝物になっていくわけです。そういうものだったんですよ。

「人間の活動時間」と「自然の時間」がズレている

戦後は供給が先行したことで、生産者が力を失い、消費者が力を持つようになった。今の原発の再稼働についても、代替エネルギーについて議論が盛んになされています。あれも、供給の話ばっかりしていると思いません?需要の方の話は全くしてない。あれはおかしいと思うんです。需要仕分けをまずすべきでしょう。

例えば今、本当に24時間くだらないテレビをやっている必要があるのか。コンビニはあれだけ長時間営業する必要があるのか。ネオンはこんなに煌々と光らないといけないのか。需要側の論理が並行してなされないことが、誠におかしいですよね。

その原点は、僕流に言うと「人間の活動時間」だと思うんです。

1960〜1970年頃には、子供は8時に寝ていたんですよ。大人もそんなには夜更かししていなかった。その就寝時間がどんどん伸びてきたでしょう。日の出と日の入りの時間は昔から変わってないんです。だから日没後、電気を付ける時間がどんどん増えてきた。

人間の生活はもともと太陽の日の出と日の入りに合わせてあったものでしょう。だけど電気が発明されたことで、夜中まで働けるようになった。そのためにビジネスチャンスが生まれて、夜中に人間がどんどん活動するようになった。この電力消費はすごいと思うんです。

これを戻して、人間の活動時間を日の出と日の入りに合わせて戻すとしましょう。実は今でも日の出と日の入りに従っている業種というのがあるんです。それが農業と漁業という第1次生産者です。つまり「生産者」は日の出と日の入りに合わせて生きている。それなのに消費者は全然合わせてない。ここに問題があるという気が僕はします。

「地方再生」は余計なお節介

もう1つ別の言い方をすれば、地方と都会ということです。だから都会で活動時間を壊している連中が、地方再生なんて言うのはちゃんちゃらおかしい。政治家もみんなが都会の感覚で、地方に対して「貧しいからもっと豊かにしてあげましょう」と言うんですね。これはアフリカの人々に、「あなたたちは貧しくてかわいそうだからスマホというものがありますよ」と押し付けるのと似ているんです。

要は都会人のお節介が、地方の幸せを壊していった。都会人の押しつけがうまく世の中と連動しちゃって、地方を圧倒しちゃったんですよ。だから地方創生という考え方は、僕は「小さな親切大きな迷惑」という感じがしますね。

農業の担い手が減っているとか、少子高齢化で地方が危機に直面しているとか言うでしょう。だけど、これは商売をしようと思った時の担い手なんです。自分で食べるために物を作っている分には苦労しなくていい。自分で畑を耕して自分の食う分を作っていれば、生きていけるんですよ。

『都市を滅ぼせ』という古い名著があります。無農薬農法で自給自足の生活を約70年間続けてきた大正生まれの中村正さんが書かれたんですが、著者の中村さんはまだ生きていらっしゃる。そこでついこの間、中村さんに会いに行って、この本を再版するお手伝いをしたんですね。2014年6月に双葉社から出版されているので、みなさんお読みになるといい。

「文明社会」の定義を問い直すべき

中村さんは、江戸時代の安藤昌益の思想を受け継いでいるんです。安藤昌益は「直耕(ちょっこう)」を奨励した人なんですね。彼は江戸時代に、孔子も孟子も、釈迦すらも否定しているんです。「あいつらは色々と偉そうなことを言うけど、自分で食い物を作ってないじゃないか。食べさせてもらっているじゃないか」という。都市がなぜ悪いかというのを、9カ条くらいにして中島さんは書いていますよ。これは素晴らしい本です。

つまり農業って、もともとは自分がそれをやって食べていくためのものでしょう。売るためのものじゃないんですよ。それを商業にしちゃうから、あるいは工業にしちゃうからひずみが出る。

日本のビジネスマンは多分、国家や文明社会を誤解しているような気がするんです。金を儲けるのがビジネスマンであり人間であると思っている節がある。経済のことだけ考えていればいいと思っているんじゃないでしょうか。

けれど西欧の思想では、真の文明社会は3本の柱が互いに均衡に支え合っていると考えます。この3本の柱というのが、「エコノミー」「エコロジー」「カルチャー」なんですね。カルチャーとは広い意味ですから、農業のアグリカルチャーも含まれますし、職人の技術も含まれる。改めて文明社会の定義を問い直さなくてはならないんです。

「死ななくて済んだ」

僕が最初に都市と地方のギャップを感じたのは子供時代でした。東京の生まれなんですが、小学校時代に地方へ疎開をした時に、理屈というよりも体で違いを感じましたね。地方には、知恵や知識がたくさんありましたから。

僕はよく大学時代や浪人時代に勉強したことって何だったんだろうと思います。大化の改新が何年だとか、微分積分、サイン、コサインって、皆さん社会に出てどのぐらい役立っています?

僕は因数分解の簡単なのが税金の計算の時にちょっと役に立つぐらいです。それよりも、「この草は食べられる」「この動物は危険か」とか、そういうことを知った方が、数段暮らしには役に立つでしょう。

学童疎開で山形の上山に行って、学童疎開から縁故疎開へ移る途中で東京に帰ってきて東京大空襲に遭いました。その後、岡山で終戦を迎えました。小学5年生のことです。

玉音放送を聞いた時のことは、今も覚えていますよ。学校の校庭に集められてラジオを聞いたんです。だけどガーガーピーピーと雑音が入るし、言葉の意味も理解できなくてね。何を言っているんだか全然分からなかったです。日本が負けたということは、大人たちの反応を見てその日のうちに分かりました。最初に感じたのは、死なないで済んだということです。

今も心に残る親父の「どっちが卑怯者か」の声

僕は小学校3年くらいの時に、学校に配属将校が来たわけです。その将校がある時、みんなを校庭に並ばして、いきなりこう叫んだんですね。「特攻に志願する者、一歩前へ」って。

小学3年の時ですよ。すると上級生は、まず2〜3人がばっと出たんです。すると、それにつられてほかの上級生もどっと出た。

僕はその時、「まだ下級生だしな、子供だしな」なんて思って、怖くて出られなかったんですね。隣のやつを見たら何か青ざめているし、どきどきしている。そして目が合った途端に、思わず2人で前に一歩出ちゃったんです。同級生もみんながつられてどっと出ました。

ただ、それでも出なかったやつが2〜3人いたんです。解散になった後、誰かがそいつらに「卑怯者」と言ったんですよ。僕は家に帰って親父に「こういうことがあった」と話したら、親父はしばらく黙っていましたけど、「どっちが卑怯者かな」と言ったんですね。

親父はクリスチャンだったんですけれど、戦時中、キリスト教の教会報に戦争反対と書いて特高(特別高等警察)に連れて行かれちゃった。親父は僕らには伏せていたから全然知らなかったけれど、お袋は知っていたんですよ。豚箱に入れられたって。聞いていたのは妹だけだった。

正義感のある人だったんですね。その親父から「どっちが卑怯者か」と問われてそれはすごく傷つきましたし、今も心に残っていますね。

「足るを知る」を伝え続ける

戦争を通して感じたのは、悲劇はそれを主導した人間に起こるのではないということです。そこに巻き込まれて色々な悲劇が起こるんですね。

2015年1月から公演する舞台「ノクターン」で描きたいのもそれなんです。原発を作った人たちのドラマじゃなくて、原発に巻き込まれた人間たちの色々な悲劇を描きたかった。

前年比以上のものを求めて日本は原発を造り、その事故に庶民が巻き込まれてしまったんです。

今回の作品に出てくる夜ノ森という町に行ってきました。今は入れないけれど、桜の名所でね。人家は全部残っているんですよ。そして窓から覗くと、新しい家の中にベビー用品があったりする。

そういうのを見ると、この家は最近建ったんだな、最近子供ができたんだな、ということが分かるでしょう。ローンはいくら残っているんだろう、家を建てるのは一大事業だから夫婦が夢を語り合って完成したんだろう、と。空想力を働かせれば分かるでしょう。そこに住めない悲しみだって感じられる。

もうちょっと古い家では、家の長押の上に代々のおじいちゃんやおばあちゃんの写真が飾ってありました。この家のおじいちゃんは原発ができる前、ここでたばこ農家か米農家をやっていたんだろうな、とか。原発立地の問題が起こった時に反対したのか、しなかったのか、とか。原発ができる前はそれなりに貧しいけど幸せな暮らしを営んでいたはずだと思うんです。

「足るを知る」ことが僕の座標軸なんです。それをこれまでずっと伝えてきましたし、これからも伝えて行くべきことです。前年比一辺倒から離れること。そこに本当の豊かさがあるはずです。

森の時間を描く脚本家 倉本 聡(くらもと・そう)
脚本家、劇作家、演出家、愛煙家。1959年ニッポン放送に入社し、脚本家デビュー。63年に独立し、77年に北海道・富良野に移住。その後は、富良野を舞台にした家族ドラマ「北の国から」など、多数の作品を手がける。俳優や脚本家を養成する私塾「富良野塾」を主宰。2015年1月から新作「ノクターン─夜想曲」を公演。自然を感じるため最近はローソクで風呂に入る。1935年1月生まれ。



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