トップページ知って得する講座家族や地域 変わった 映画監督山田洋次さん(83)

家族や地域 変わった 
映画監督山田洋次さん(83)

2日から読売新聞「語る 戦後70年」の連載が始まりました。
先ずキッシンジャー氏、続いて、稲森和夫さん、森英恵さん。
そして6日は小沢征爾さんと山田洋次さん。
どの方も取り上げたい内容ですが、山田洋次さんの「家族や地域 変わった」を転載しました。
ご一読ください。

以下は、読売新聞1月6日[語る 戦後70年]の転載です。

だんだん戦争を知っている人が少なくなってきました。私たちが最後の世代です。今春から、長崎の被爆者を描く映画「母と暮せば」(12月公開予定)の撮影に入ります。私たちが若い世代に伝えていかなければいけない、と思っています。

戦前からの家族の形は1950年代まで続いていました。その時代の都会での暮らしは、小津安二郎監督の映画「東京物語」(53年)に残されています。東京で暮らす子供たちを訪ねる老夫婦を描くこの映画では、子供、孫との家族の情愛を映し出しています。当時は映画の全盛期。ドアが閉まらないほどの観客が映画館に詰めかけ、みんなで泣いたり笑ったりしていました。「東京物語」のほか、木下恵介監督「二十四の瞳」(54年)、黒沢明監督「七人の侍」(同)などの名作もこの時代に生まれました。

60年代以降、日本は高度成長を遂げましたが、それは同時に家族のあり方を破壊しました。経済成長に伴って父親は残業で家に帰らず、子供たちも受験戦争で塾に通い、帰ってもすぐ自分の個室に入ってしまう。夕食はバラバラになり、一家だんらんがなくなった。

経済最優先

日本人は長い間ずっと畳の上で家族そろって暮らしてきました。だが、60年代以降、それが一挙に変わってしまった。茶の間はリビングルームになり、ちゃぶ台はテーブルとイスになった。経済最優先で生活は便利になりました。でも、文化や心の問題がなおざりにされてきたのが、戦後日本の社会です。

家族の次には地域社会が崩壊します。かつては外に出れば近所の怖いおじさんや、豆腐屋のおばさんらに声をかけられ、いろんなことを教えてもらった。でも、そうしたつながりは面倒くさいものとして避けられるようになってしまった。アパートはマンションになり、今ではオートロック。外部の人が気楽に入れなくなり、隣近所とのつきあいもなくなっていく。

今は、コンビニや自動販売機で、話をしなくても買い物ができる。インターネットを使えば、外に出ることも必要ない。いっさい言葉を発せずに暮らすことができるのです。人間への関心は薄れ、スマホや携帯のメールだけでやり取りする。子供たちは社会的なつながりを知らないまま、大人になっていく。これは大変に根が深い問題です。

70年の大阪万博のころ、日本は科学技術がすべてのように思っていました。でもどこかでそれに対して不安があったのではないでしょうか。「ディスカバー・ジャパン」などという言葉が流行したのも、日本らしさが消えてしまうという不安があったのではないかと思います。

豊かな心を

そのころ現れたのが、私が監督した映画「男はつらいよ」(69年)の寅さんです。進歩や発展なんかには何の興味もない。旧式で駄目な男だけれど、観客たちは彼にほっとした。そこには人間らしい思いがあります。作品を通して人間的な感情に触れ、豊かな心が育まれる。ここに芸術の大きな役割があると思います。映画だけでなく、文学でも音楽でもそうです。

日本の政治は戦後、経済成長一辺倒で、文化や芸術には無関心でした。大阪市の文楽への補助金問題が報じられましたが、オペラ、オーケストラなども何らかの援助がなければ成り立ちません。文化や芸術は採算性、効率性という尺度でとらえてはいけないのです。

政治家も役人もホールなどの建物を作ることには熱心でも、肝心の芸術には全く理解がない。その結果、見かけは豊かでも、内面は貧しい国になってしまいました。今こそその方向性を変えるべきときに来ていると思います。(聞き手・編集委員 福永聖二)




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