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何のための医療か?

9月28日の読売新聞に掲載された書評に魅せられて、名郷直樹著『「健康第一」は間違っている』を早速に読みました。第一部 長寿国日本の現実、第二部 予防・治療のウソ、第三部 医療の役割 の構成で、はじめにと第二部と第三部から抜粋、転載しました。
併せて、日経ビジネスONLINEの連載「絶対に受けたくない無駄な医療」の第1回を抜粋転載しました。超高齢化社会の「何のための医療か」について、一度考えてみませんか。

▼「健康第一」は間違っている「はじめに」

「甘いものの食べ過ぎです」

「お酒の飲み過ぎです」

あなたは医者にこのように言われた時に、言い返すことができるだろうか。

言い返す必要を感じない人も多いだろう。この医者は自分のことを思ってこんなふうに言ってくれているのだから、言い返すどころか感謝しないといけないと思う人も多いかもしれない。

たとえばこんな患者を思い出す。

「先生のおかげで甘いものを我慢することができるようになって、大変感謝しています」

この患者さんは「甘いものを我慢する→体重が減る→健康になる→毎日元気に暮らせる→長生きできる」と考えている。

実際、甘いものを我慢できるように支援するのが医療の役割である。そこにあまり議論の余地はないように思われる。しかし、ちょっと待ってくれ、というのが本書の入り口である。

ここには様々な問題がある。それらの問題全体を取り上げて検討するのが本書の目的であるが、とりあえず今の時点では、甘いものを我慢するという気持ちが「正当」なものであるかどうか、疑ってみたいのである。

次に逆の状況を考えてみよう。ある糖尿病の患者である。

「先生、すいません。また飲んじゃいました」

ここには「酒を飲む→糖尿病が悪化する→いろいろな合併症がおこる→日々の生活に支障が生じる→早死にする」という背景がある。酒を飲みたいという願いは間違ったものであり、酒を我慢したいという正当な願いへ誘導し、その実現を支援するのが医療の役割であると。

これもまた、当然のことのように思われる。しかし、ここでもちょっと待っほしい。糖尿病の患者にとって酒を飲みたいという願いは、本当に「正当でない」ものなのだろうか。そこを疑ってみたいのである。

それでは次のような患者はどうだろうか。長く糖尿病を患ったすえに亡くなった夫を看取った妻がこういうのを聞いたことがある。

「最期までご飯を腹いっぱい食べさせてやれなかったのが心残りです」

ずっとうまいものを食べることを我慢して、我慢しているうちに何も食べられなくなり、とうとううまいものを腹いっぱい食べずに死んでしまった夫に対する悔悟がそう言わせたのだろう。

案外こういうケースは多い。腹いっぱい食べさせたいと思っても、死んでしまえばそれはもうかなわない。天国で腹いっぱい食べてねというしかない。

先の二つの例に照らして言えば、この患者は、満腹になるまで食べることを我慢する、という「正当」な願いを死ぬまで達成し、満腹するまで食べたいという「不当」な願いを死ぬまで抑制できたということである。

しかし妻は言うのである。我慢させたのが「不当」で、食べさせるのが「正当」であったのではないかと。

多くの医者は、健康につながる欲望に寛容で、健康を害するような欲望に厳しい。これまでの医療はそれでよかったかもしれない。しかし現代の医療は、それでは決して通用しないところに来ている。我々が生きている世界はもうそんな単純な世界ではない。

では、それはどんな世界なのか。

今ある現実を正確にとらえるところから始めよう。

これが本書のスタートである。

▼「健康第一」は間違っている「第二部 予防・治療のウソ」

第四章 高血圧と脳卒中

―――<略>―――

最初に見た生存曲線が示すように、80歳を超えれば、どうやっても死んでしまうのが現実である。しかもその生存曲線は、世界で最も長寿を達成した国のそれなのである。その中で高血圧を治療して脳卒中を先送りすることの重要性はそれほど大きくない。脳卒中を先送りする間にがんで死んでしまうかもしれない。それならがんについても予防策をとればいいという人がいるだろう。しかしそれにも限界があることを生存曲線は示している。

第五章 がん検診は有効か――乳がん検診を例に

―――<略>―――

がん検診を議論するときには、「検診を受けてよかった」「検診を受けていなくて大変なことになった」という視点ばかりで語られるが、それはかなり偏った視点である。ここまで見たように、検診を受けたがために、余計な負担を強いられただけ、というケースもありうるのである。

検診は有効であると同時に有害である。乳がん検診についての論文を多面的に読み込むと、どちらの視点もそれなりに妥当な部分とそれなりに問題がある部分が存在する。

何が正しいということはない。むしろ何が正しいかというような議論は正しくない。私自身の現時点での考え方のひとつを述べれば、ただ正しいとか正しくないではなく、乳がん検診はすべての女性に勧めることはできないが、多様な視点から情報を共有し、個別の乳がんの危険を考慮しながら、個別には検診を受けるという判断もまた重要であるということである。

そうした判断は、質の高い医学論文を多面的に読み込んだという「文脈」に基づくものである。

第六章 認知症早期発見の光と影

―――<略>―――

「地獄への道は善意で敷き詰められている」という言葉がある。カール・マルクスによるという説があるようだが、出典ははっきりしない。誰が言ったにせよ、至言である。医療というのは、ひとつ間違うと善意が容易に地獄への道となる。超高齢者に対して降圧剤を飲ませ続けることや、乳がんの過剰診断もそういう問題のひとつかもしれない。そして、認知症も同様である。そこには悪意どころか、善意に支えられていた面がある。

早期に認知症を発見して、そうした人に何とか適切な支援を届けたい、そういう善意は必要である。しかしその善意だけでは、むしろ認知症患者を不幸にさせるだけかもしれない。早期発見された軽度認知障害の患者を、より長い期間不安にさらし、進行を遅らせる有効な治療がありますと言って、さらに薬の副作用で苦しめるだけかも知れない。あるいは認知症だというラベリングをされただけで、実際には何のケアも受けられないという最悪の結果になる危険もある。自治体も、こうした事業に多くの税金を無駄に投入することになる。

こうして認知症早期発見の負の面に焦点を当てると、この善意が地獄へつながっている可能性はかなり高いのではないだろうか。

第七章 ワクチン接種がなかなか進まない日本

―――<略>―――

長生き、健康を目指すことは誤っている。本書をそんな意見でスタートした。そして、第二部で示した事実は、そうした主張と整合的であるように思われる。

ここで取り扱った例と、長生き、健康を目指すことが幸福につながるというような単純な思考とのギャップについて、もう一度整理しておこう。

最初に取り上げた高血圧については、有効な治療薬があるのだが、その効果は多くの患者の期待とはかけ離れ、意外に小さいもので、その小ささが世の中に伝わっていない。伝わっていないだけでなく、その小ささを伝えないようにして、できるだけ効果を大きく見せかける伝え方が科学論文の中でも主流となっており、多くの高血圧患者は治療効果に過大な期待をかけてしまう。

バルサルタンに関する論文捏造事件に触れたが、そこでは別の有効な治療があるにもかかわらず、製薬メーカーの主導により、高くて新しい薬が真っ先に使われる風潮がすでに出来上がっている。それは皮肉にも、論文捏造をしたことが疑われるメーカーよりも、そのような不正をせずに通常の営業だけで売るメーカーのほうがより多くの薬を売り上げていることで示されている。医者や患者に届けられる情報は極めて限定されており、結局はメーカーの営業力により薬が処方されているような状況がある。

また乳がん検診では、確かに有効な検診があるのだが、有効な部分の情報だけが流され、検診の負の面が全く取り上げられず、害が伝わっていない現状を見た。

次に、認知症の早期発見を例に、善意といえども、結果的には多くの患者に害をもたらす危険があることを見てきた。

どれもこれも、医療が有効だということを過大に強調し、その害の部分を意図的であるにしろ無意識的であるにしろ、覆い隠すような強固な構造がある。そういう構造の中で最悪なのは、医療に対する期待をかきたてられる一方で病気に対する不安を煽られ、治療を受けたとしても、その不安を払拭するような効果を得られず、かえって不幸になってしまうという結末である。

第1章で見た長生きと幸福の乖離は、医療を受けられないためではなく、こうした医療を受けることそのものに原因があるように思われる。

それに対し、最後に取り上げたワクチンの問題は対照的である。大きな効果があるにもかかわらず、副作用ばかりが強調される場合が多く、なかなか普及しない。日本には特にそういう傾向がある。その背景には、予防接種を行うとその後の医療が不要になるという面があり、ここが先の三つの例との決定的な違いである。

多くの医療の提供につながる医療行為はどんどん進められ、その後の医療を不要にするようなものは普及しにくい。科学的なデータはその全体が覆い隠され、その医療行為を進めたければ効果の面が強調され、進めたくなければ副作用やコストが強調される。そういう現実が、ここに明確に示されているのではないだろうか。

どんな医療行為にも有効な面と無効な面がある。害やリスクも孕んでいる。有効/無効という二分法を乗り越え、その曖昧さ、全体像に向き合う必要性は、ここでもまた同じように示されている。

▼「健康第一」は間違っている 「第三部 医療の役割」
第八章 医療はどうあるべきか

―――<略>―――

死なないための医療か、死ぬからこそある医療か

医療は生死と深くつながっている。本書を生存曲線から始めたように、ここでも医療の役割を、生死とのかかわりで考えてみよう。

ここで読者のみなさんに質問である。

医療の役割は、人を死なないようにすることなのか、逆に、人が死ぬからこそ、医療の役割があるということなのか。

多くの人にとって後者は、そもそも理解しがたいのではないだろうか。死なないように、医療がその役割を果たしてもらわないと困る。死ぬから役割があるのは僧侶だろう。それが率直な反応ではないか。

では医師はどうか。世界一の長寿を達成した日本といえども、病院で働く医師の多くは、患者が死なないようにするために役割を果たしているのが実感だろう。しかし、それではもう現実の医療は回っていかない。人間の死亡率は100パーセントである。どこかで必ず亡くなる。高齢者が増えて、どこの病院でも80歳、100歳の入院患者が珍しくはなくなった。こうした超高齢者はどうやっても亡くなってしまう。彼らに対して、一体どこまで死なないように医療を提供するのか、という問題がある。

多少話が横道にそれるが、「どうやっても亡くなってしまう」と何気なく書いたことに、少し触れておきたい。こうした言い回しが問題となるのが医療の現状である。「どうやっても亡くなってしまう」とはどういうことかと、目くじら立てる人がいる。医療はどこまでも患者に対して「亡くならないようにすべきだ」。そういう意見がある。また、本人に意識がないような状態でも、可能性がある限りどこまでも積極的な医療を提供してほしいという家族は意外に多い。実際、重度の認知症患者の後見人が、「少しでも異常があれば必ず精密検査をお願いします」と言って対応に困ったこともある。「意外に」というコトバもまた同じように問題となるかもしれない。救急医療の現場は、そうした状況によってかなり疲弊している。

話を戻して具体的に見てみよう。例えば100歳の人が突然意識を失い、救急搬送、搬送先の病院で亡くなったという例で考えてみる。このようなケースでも、一応心臓マッサージを行い、点滴を行い、多くの病院に医師は死なないような医療を提供するが、多くは積極的な延命を期待して医療を提供しているわけではない。むしろ患者の意識がないままに心臓だけが動いていて、人工呼吸器をつないで集中治療室に入るような状況を避けたいと思っていたりする。

結果的には患者が亡くなったとき、それでも医師は、「手を尽くしましたが、残念ながらお亡くなりになりました」と言うだろう。多くの病院の医師は、死なないようような医療の提供は表向きで、手を尽くしましたが残念ながらお亡くなりになりましたというような「儀式的」な医療を提供している場合が多い。表向きは「死なないようにする医療」ではあるが、実質的には「死ぬからこそある医療」という側面もある。

こうした事例からもわかるように、現代の日本の医療は、もはや死なないためだけに役割を果たすという時代は過ぎたように思われる。病院の医師も、それを実感しているに違いない。急激な長寿社会が到来した日本においては、「死なないための医療」だけでなく、「死ぬからこそある医療」の役割を考えることが特に重要ではないか。本章で医療の役割を考えるにあたって、まずこの「死なないための医療」と「死ぬからこそある医療」の二つの医療の役割を検討することから始めよう。
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▼「絶対に受けたくない無駄な医療」の著者、室井一辰さん(医療経済ジャーナリスト)のコラムが8回連載で、日経ビジネスONLINE掲載されました。その第1回『米国医学会が出した「衝撃のリスト」 全米8割の医師が示した無駄な医療とは』から、抜粋転載です。

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ちょっと書籍で書いたこととも共通するのだが、おつきあいいただくと、私は大学で獣医学士の学位を得た後に、大手出版社などで国内外の医療現場を取材するようになった。これまでにお会いした医療関係者は総勢1000人を超える。そういった経緯もあって、家族や友人、知人から病気の相談を受けることが多い。

例えば、「親族が食道ガンになったのだけれども、どういった治療を受ければいいだろうか」、あるいは「胃ガンだと分かった。治療としては開腹手術と腹腔鏡という方法の手術があるのだが、どちらがいいのだろうか」など、相談内容はもう枚挙にいとまがない。

相談を受けていていつも感じるのは、多くの人が治療を受ける時に、猛烈に情報を集めていることだ。

もちろん、できるだけ多くの情報を集めて治療に臨もうと考えるのは、当たり前のことだろう。ただ問題は、インターネットでいくら調べても、指針にしたいと思える情報になかなかたどり着かないということだ。「指針になる情報がもっとあれば…」とかねて思っていた。

そういう問題意識を持っていたところで、私は「衝撃のリスト」に出会った。恐らく、病気に直面する人々の思いのそばにいなければ、その意味合いに気がつかなかったかもしれない。それくらい、最初はごく小さな動きに過ぎなかった。

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中心にいたのは、米国内科専門医認定機構財団(ABIM)という聞きなれない組織だった。非営利組織で、医療の効率化につながる活動を進めていた。

その組織が2011年ころから手掛け始めたのが、「Choosing Wisely」という活動だった。意味は「賢く選ぶ」。診断、治療、予防の多くある選択肢から、意味のあるものを選んでいこうというものだ。

最初は小さな運動だったが、参加学会を少しずつ増やしていった。そうこうするうちに、いつの間にか全米の医師の多くを包含するまでに拡大していった。

運動に参加するのは、2013年の段階で、全米の71の学会に及ぶ。無駄な医療のリストのボリュームも、250項目ほどに達した。分野も幅広い。50もの有力学会が無駄な医療を選び、掲げているのだ。該当する医学会に所属する医師を足し合わせると50万人もの規模になり、60万人強の米国医師のうち8割をカバーする。

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今、国は都道府県や健康保険組合に対して、医療費の削減目標を設けさせようとしている。5月26日の日本経済新聞の朝刊一面によると、75歳以上を対象とした後期高齢者医療制度の部分の医療費総額約13兆円を圧縮しようと考えているようだ。

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Choosing Wiselyがおもしろいのは、米国の医療界自身が動き始めたところだ。

患者にとっては、自らの診断、治療、予防の選択肢を考えるうえで役に立つ。国にとっても、保険者にとっても前述のように削減すべき医療を考えるための判断材料になる。企業にとっても、ヘルスケア事業を考案するうえで参考となるところが多々あるだろう。

医療界に関して言えば、自分で自分の首を絞めているようにも映る。治療法を選ぶという医師の裁量を狭めることにもつながりかねないからだ。それでも米国の学会が無駄撲滅に動き始めたのは、巡り巡って自分たちのためになると考えているからだろう。無駄なところにカネがつぎ込まれると自分たちが望むような必要な医療にカネが回らなくなる。医療界だって無駄な医療にカネがつぎ込まれていいわけはないのだ。
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何のための医療か。

米国は「民主主義」が根づいていますね。それに比べて、日本は、、、。

改めて以下、『「健康第一」は間違っている』から転載です。
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日本はワクチンについてかなり遅れた国のひとつである。先進国の中で、水痘やおたふくかぜ、B型肝炎に対するワクチンが公費で接種できない数少ない国のひとつが日本である。水痘については、2013年末、公費接種が近々実現するというニュースが流れたが、おたふくかぜ、B型肝炎についてはまだまだ先の話のようだ。子宮頸がんを予防するためのヒトバビロ―マウイルスワクチンは、いったん公費になったものの、副作用の懸念から、積極的には接種を勧めない予防接種に逆戻りである。

こうしたワクチンに関する後進性をどうとらえればいいのか。乳がん検診や認知症の早期発見のように、先進的であることがむしろ害をもたらし、後進的であることのほうが重要なのか。それとも、本来ならもっと進めていいものが後れているのか、これまでの問題との対比においてとらえていく。
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『「健康第一」は間違っている』を書評された、立教大学教授前田英樹さんは、「著者は、臨床の現場で長く働く開業医だが、統計学を駆使した粘り強い思考を展開する人でもある。読んでいると、哲学の形式論理を追うように明晰で、しかもあらゆる独断を退け、悠々として柔らかい、大した医師がいるものだと思った」といわれる。
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日本は世界一の長寿社会を実現しました。
にもかかわらず、相変わらず「死なないための医療」を行っている。
私たちがそういう医療に甘えているために、そのツケが消費税アップです。
果たして、それでいいのでしょうか。

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小学館発行「SAPIO」11月号で『「医療のウソ」を暴く』がレポートされ、石井光著「医者の嘘」がアマゾンでベストセラー5位(10/15)です。

「はじめに」より
毎日患者に接しているうちに、医者の嘘がいかに多いのか思い知らされました。同業者の悪口をいうのは敵を作るだけですから、私は気が進みませんでしたが、野放図に増え続ける国民医療費は、もしかしたら医者の嘘も原因のひとつではないかと考えました。患者が賢くなれば、増え続ける国民医療費を削減することが可能になるのではないか――。


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