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3回目の3・11を迎えるにあたって

3月11日、東日本大震災満3年になります。
読売新聞の最近の記事から、『巨大防波堤「待った」住民不安「海が見えない」』と『倉本聰さんの「この3年」』を、被災地や被災者の「今を知る」になればと転載しました。ご一読ください。

▼[転機の復興]<1>巨大防潮堤「待った」住民不安「海見えない」
3月1日読売新聞より転載

激しい揺れに、津波に、そして見えない放射線におののいた東日本大震災から11日で3年。あの日以来、誰もが願ってやまない復興だが、その姿は歳月と共に変化し、新たな課題を次々に突きつける。三たび巡り来る「3・11」を前に、転機を迎えている復興の現場を見つめ、今後の道筋を探る。

当初案は14・5メートル

津波で住民の約1割に当たる93人の死者・行方不明者が出た岩手県大槌町南部の赤浜地区。県がここに建設を計画する防潮堤は震災前と同じ高さ6・4メートルだが、2011年10月の最初の案では2倍以上の14・5メートルだった。

当初は、「高い防潮堤の方が安全」と県の案を支持する住民が多数を占めた。だが話し合いを重ねる中、住民は、防潮堤に視界を遮られて海の異変に気づけなかったり、海の様子を見に行って巻き込まれたりした人が少なからずいたことを知る。「防潮堤が高すぎると海の変化がわからず、かえって逃げ遅れる」。住民はそう考えるようになった。

高台移転と引き換えに、防潮堤を低くすることで住民の意見をまとめた元町職員の川口博美さん(65)は「防潮堤が高ければ、時間がたつうちにきっと逃げなくなる。すぐ逃げる気持ちを持ち続けるには、防潮堤が高すぎてはだめ」と話す。津波で妻と母、孫の3人を亡くしたが、防潮堤への過度の依存を戒め、自ら身を守る重要性を訴える。

行政主導で進む防潮堤の整備計画に、住民が「待った」をかける事例が目立つ。

震災前、岩手、宮城、福島3県に総延長で約300キロあった防潮堤は、揺れや津波で約190キロが全半壊した。国と3県は沿岸の総延長約390キロでの防潮堤整備を新たに計画。全額国費で8000億円を投じ、国と県、市町村が管理する海岸などに造ることにした。

高さは過去の津波や高潮などを参考に各県独自に算定。岩手県が平均約12・1メートル、宮城県は平均約7・5メートルで、いずれも震災前にあったものより3メートルほど高くなる。福島県は平均約7・5メートルで、やはり震災前より約1・3メートル高くなる。

変わる意識

これに対し、「高すぎる」との声が各地で上がる。

宮城県は、計画がある403か所のうち7か所で住民側の要求に応じ、防潮堤の高さを下げたが、住民との協議が続くところも2割ほどある。一方、福島県では全71か所で合意。岩手県も全135か所で合意したと公表しているが、うち20か所は住民側の要望で高さを計画より低くした。沿岸部の住民の移転など他の自衛策を取ることが条件だ。 住民の反対に加え、自治体の街づくり計画の遅れもあり、3県平均の着工率はまだ約4割。今年度中に8割との目標には及ばない。

宮城県気仙沼市の唐桑半島の漁港の町、鮪立(しびたち)地区でも今、県の計画に反対の声が上がる。湾を囲むすり鉢状の傾斜地に120戸ほどが立つ地区は最大12メートルの津波に襲われ、16人が亡くなった。12年7月以降、県が示した計画では、震災前は1・2メートルだった高さを9・9メートルまで引き上げる。底部の最大幅は60メートル。堤上には片側1車線の道路を通す。

13年2月に住民組織「まちづくり委員会」が行った全戸アンケートでは、県の9・9メートル案を住民の35%が支持し、高さを5メートルとする委員会案への賛成約20%を大きく上回った。それが同12月の再調査で5メートル案への賛成が80%へと急増した。「津波への恐怖心から高い防潮堤を望んだが、実際にできたのを想像したら、地区がなりたたなくなると思った」と県の案への反対に転じた男性(81)は言う。

数少ない平地が防潮堤の用地に充てられると水揚げ後の作業場も確保できず、漁業従事者もいなくなり、地区が衰退する。海が見えなければカキやワカメの養殖棚が見えず、何より津波が来てもわからない――。

海と生きてきた地区だからこその悲鳴。「命を守るために必要な高さ」を巡り、県と住民の模索が続く。
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▼[この3年]<12>ただ寄り添うのみ…倉本聰さん(79)脚本家
2月23日読売新聞より転載

東京都出身。1963年にニッポン放送を退社後、脚本家として独立。77年に北海道富良野市に移住した。84〜2010年に役者やシナリオライターを養成する私塾「富良野塾」を主宰し、現在は劇団「富良野GROUP」を率いる。テレビドラマ「北の国から」で菊池寛賞などを受賞。ほかの代表作に「前略おふくろ様」「風のガーデン」など。

震災以降、東北の被災地を7、8回訪ねてきました。福島県いわき市の海岸では、津波に流された人を追悼するろうそくをともし、福島第一原子力発電所近くの浪江町では住民が避難してゴーストタウンになった町を歩きました。

昨年春に訪ねた南相馬市原町区で不思議な光景を目の当たりにしました。海岸線に高さ2メートルほどの砂山が延々と続いていたんです。20人ほどが行方不明の肉親を捜すために掘った白い砂でした。

そこに小学生の姉妹を津波で流された40歳ぐらいの夫婦がいて、話しかけると、とても明るくてびっくりしました。毎日掘っていると言っていました。ご自宅ががれきの中にぽつんとあるんですが、玄関に大きなイルミネーションが付けてありました。迎え火ですよね。いいご夫婦でした。僕はその人たちのことを演劇にしまして、来年福島で上演するつもりです。

復興の足取りは阪神大震災と比べても極端に遅いですね。一方で、津波のことも原発事故も風化が進んでいます。

今、我々にできることは、1人でも2人でもよいから被災者に寄り添うことではないでしょうか。僕は浪江町から避難した独り暮らしの初老の女性と手紙をやりとりしています。その人は避難所や仮設住宅を転々とし、政府や東京電力に対する強い恨みを抱いています。僕はただ聞き役になるだけですが、やれることはそれしかないと思います。

原発を巡る議論は、自然エネルギーの利用など供給論ばかり。便利さに慣れ切った生活を変えようという議論がなされていません。

高度成長あたりから日本人には我慢がなくなりました。便利さとスピードの追求に歯止めがかからず、まるでブレーキとバックギアのないスーパーカーのようです。選挙でも、いつも景気の問題が第一に叫ばれますが、人間生活そのものを考える方が重大じゃないかと僕は思うのです。

震災・原発テーマに創作

倉本さんは、震災と原発事故をテーマにした演劇の創作を続けている。主宰する劇団と一緒に活動拠点の北海道富良野市や、東北の被災地などで上演している。

2012年の上演作「明日、悲別(かなしべつ)で」は、北海道の炭鉱の町を舞台に人間とエネルギーの関係をテーマにした旧作を改稿し、放射性廃棄物の受け入れを巡って揺れる町民たちを描いた。13年には、津波で娘2人を流された男性が、同じように父親を津波で亡くした女性と出会う新作「夜想曲――ノクターン」を上演した。「自分の書きたいものが3・11を経て、より明確になってきました」

観客と劇団員が大道具を一緒に作る試みも。「村の全員が共同作業をする、かつての農村の『結(ゆい)』のような風習を取り戻せないかと。それが復興の一助になると考えています」


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