トップページ知って得する講座これでいいのだろうか?お節と日本人

これでいいのだろうか?お節と日本人

昨年は、富士山の世界遺産登録に始まり、和食の無形文化遺産登録、そして2020年のオリンピックの東京招致と日本が世界から注目を集めました。

お節料理こそ無形文化遺産、和食の代表的なひとつですが、食卓を定点観測の場にして長年研究をされている岩村暢子さんの「お節と日本人」を紹介します。岩村さんが最後に仰っている、「こうして見れば、日本食の見直しは日本人の失ってきたものの見直しでもあるのだと思う」は、至言です。

『お米で和食の価値観を変える!京都「八代目儀兵衛」』、『始めて3年で日本一のコメを作った男』と併せて、ご一読ください。

▼お節と日本人 定番の姿都市化の産物
岩村暢子(キユーピー 200Xファミリーデザイン室室長)
1月6日の読売新聞より転載

正月に華やかさを添えるお節料理

長年、食と家族を研究してきて、おばあちゃん世代の子供の頃のお節について面接調査をしたことがある。対象は北海道から九州まで多様な地域に育った今63〜82歳の女性たち40人。調査は2004年春に行われた。かつては昔ながらのお節を各家庭で作っていたのかと聞いたが、ほとんどの人が「昔は今と違って、お節らしいお節などなかった」と答えたので驚いたものだ。

当時の正月料理は、煮豆やキンピラ、野菜の煮しめ、酢漬けなどが幾品かある程度で、「雑煮さえあれば正月料理だった」と答えた人も少なくなかった。魚介類はあっても鮭やブリなど地方によって異なり、煮豆も黒豆とは限らない。

お節料理と言えば、今では鯛や海老を中心に、黒豆、伊達巻、蒲鉾、きんとん、紅白なます、田作り、筑前煮などが美しく重箱に詰め合わせられたものをイメージする。だが、そんなお節の話は一件も聞かれず、それにやや近い料理を何種類か食べていた人さえ、1割にも満たなかった。

いつから、あのようなお節を定番と考えるようになったのだろうか。おばあちゃん世代によれば、1960年前後にNHKの「きょうの料理」や婦人雑誌で盛んに紹介されるようになり、都会のデパートにもお節重が並び始めたことが大きく影響したと言う。「これが本当のお節か」と驚き、自分も真似して作り始めた、と口々に語ったのである。それまでは一部の名家に伝わる形だったのではないだろうか。

日本は、50年代半ばから60年代にかけて大きく変化していた。農村の若者がサラリーマンとなって大量に都市周辺に流入し、多様な地方の人が都市周辺で出会い、家庭を持ち始めていた時代だ。隣近所や夫婦の間でも異なる地方の文化・伝統が交錯し、都市部を中心に新しい「標準」を求める動きも高まった。冠婚葬祭の儀礼や、正月など伝統行事のやり方にも、各地方に伝わる伝統よりマスコミやデパートの示す形が大きな影響力を持つようになった背景には、そんな社会変化も否めない。

だが、テレビや雑誌、売り場で覚えて作り始めたお節は、新しい情報や商品が出ると移ろいやすい。後に娘たちに作り方を聞かれても「あなたも、今のテレビや本を参考にやっていけばいいのよ。私もそうしたんだから」とおばあちゃんたちは答えている。それは確かに、自分たちがやってきたことの伝えなのであろう。

今30代・40代になった娘たちの家庭を見れば、自分でお節重を手作りする人などほとんどいない。お節は実家に帰省した時に食べるか、少人数サイズのお節を買って正月シンボルのように飾って別のご馳走を食べるか、元日でも普段と変わらずパンやレトルトのカレー、カップ麺などを食べる家もある。「手をかけてお節なんか作っても誰も喜ばない」のである。

おばあちゃんたちも、子供家族が帰省するならお節セットを購入したりするが、夫婦だけだと簡略化する方向である。

そんな中で昨年12月、「和食」がユネスコの無形文化遺産に登録され、伝統的な行事食の見直しが語られ始めた。だが、年末のデパートのお節売り場は例年にも増して活気づいていたし、売れ筋商品の中身を見れば、形だけ昔ながらの重箱に納まってはいるが、鯛や海老はローストビーフやオマールエビに、蒲鉾はテリーヌに、紅白なますはマリネなどに替わった洋風・中華風が増えていた。お節料理の謂われにこだわる人ももうあまりいないのだろう。雰囲気だけお節風にして、好きなものを食べ合おうとする現代の家族らしい新しい標準がそこに表れていたような気がする。

こうして見れば、日本食の見直しは日本人の失ってきたものの見直しでもあるのだと思う。


▼お米で和食の価値観を変える!京都「八代目儀兵衛」
2013年12月11日オールアバウト(南 恵子)より抜粋転載

和食がユネスコの無形文化遺産に登録され、その魅力が見直されています。その一方で和食の主食であるお米は、消費量が減り、農業の先行きも不安な要素ばかり。今回は、京都からお米の魅力を発信している京の米料亭「八代目儀兵衛」に伺い、お米の現状についてお話をうかがいました。

―――橋本さんが選ぶおいしいお米とはどのようなものなのでしょうか。

お米は、○○県産、あるいはコシヒカリ、ササニシキがおいしいとよく言われることです。でも同じ地域・品種のものでも、厳密に言えば作られる土壌、作り手、肥料など様々の要因によって、味には差が出ます。また暑い時や寒い時など、環境が変われば味わう人間の体も違い、おいしさの感じ方は違います。お米には、それぞれに粘りや喉越し、香り等の個性があり、一種類だけではおいしさを構成する力は弱いものです。

ブレンド米と言えば、今ではなくなんとなく安くておいしくないお米のイメージがあるかもしれませんね。

『八代目儀兵衛』では、私が年間に200〜300種類の米をテイスティングしながら、一般的な有名産地だけではなく、お米に特徴のある本当においしい良質の産地を選び、ごくわずかである一番美味しい田んぼを年間で契約しています。

季節に応じて、またお寿司、おむすび、丼、炊き込み、粥、和食向き、洋食向きなどの料理別に最適なお米にブレンドしてご提供しています。


―――日本の農業は、異常気象、高齢化などの衰退が懸念されていますが、橋本さんはどのように考えているのでしょうか。

確かにいろいろな不安要素はありますが、政治や業界に期待するだけでなく、自力で活性化するという志が必要です。

僕は、お米文化をビジネスとして成立させることを目指しています。例えば、今取り組んでいるのが『お米番付2013』。

ブランド米として人気のあるお米も、まったく無名のお米も、作る上での苦労は同じ。でもブランドという枠にしばられると、どんなにによいお米を作っても認められ難い状況があります。

『お米番付2013』では、『八代目儀兵衛』のお米マイスター20名他が立ち上げた「日本お米向上委員会」が、「7つの審査基準」に則り、審査します。私たちが重要視しているお米の「甘味」や「香り」などのお米の個性を大切にし、食味計に頼らず、実際に人の五感で感じる美味さで、お米を評価します。

最終審査にエントリーされたお米は消費者の皆様にも実食していただけるように、京都・祇園のアンテナショップ「八代目儀兵衛」にてご提供します。

また一過性のイベントにはせずに、インターネットでのギフト販売や、一流料亭や国内航空会社の機内食へのPRなど、実際に消費者の元へ届ける仕組みを支援していきます。

消費者にとっては、プロによる確かな評価を得たお米を確実に購入することができます。生産者にとっては、今は無名のお米であっても品質そのもので正当に評価されます。このような新たな流通革命を起こすことで、日本のお米業界を活性化したいと考えています。

詳細は、<http://allabout.co.jp/gm/gc/435370/?NLV=CN000059-397>


▼始めて3年で日本一のコメを作った男
2013年11月15日日経ビジネスONLINE(吉田忠則)より抜粋転載

岐阜県上宝町の農業法人「まんま農場」を経営する小林達樹が、本格的に稲作を始めたのが2004年。3年後には、山形県で毎年開かれる「あなたが選ぶ日本一おいしい米コンテスト」でトップに輝いた。初挑戦で優勝という快挙だ。その後も様々なコンテストで入賞した。

一気にそこまで駆け上がるため、どれだけ努力したのか。苦労話が聞きたくてくり返し質問しても、「う〜ん」と考えこむばかり。むしろ口をついて出るのは「つくるより、売る方がずっと大変だった」。コメ袋をかついで夜の街を売り歩くなど、販売面で悪戦苦闘したエピソードはどんどん出てくる。

では長年コメをつくっている農家を押しのけ、なぜコンテストで頂点に立てたのか。答えは品種。小林がつくっているのは、岐阜県で2000年に発見された新品種「いのちの壱」。いま日本でつくられているコメのほとんどはコシヒカリか、その関係種。これに対し、いのちの壱はコシヒカリより粒が大きく、香りも強い。似たもの同士が僅差で競い合っていたコンテストに新風を吹き込んだ。

小林いわく、「このインパクトの強い品種と気候がぴったり合った」。上宝町は新潟県の魚沼と同じで、日照時間が長く、夏は昼と夜の気温の差が大きい。そこに北アルプスの雪解け水が流れ込む。もちろん、親しい農家の指導を受け、農薬を減らすなど、ブランドとして育てる工夫はしている。だが、小林が一番強調するのは「自然的な条件」だ。
--------------------------------------------------------------------

「この気色尊く見えて候ふ」

やや唐突だが、ここで吉田兼好の「徒然草」にある日野資朝のセリフを紹介したい。腰が曲がり、眉の白い僧正を指して内大臣が「ああ尊いご様子だ」と感嘆した。資朝は後日、やせ衰え、ところどころ毛の抜けた犬を内大臣の屋敷へ連れて行って言い放った。「この犬の様子は尊く見えます」。

農業の匠(たくみ)の技について考えるとき、後に反乱を企て、処刑されたこの反骨の公卿の言葉を思い出す。農業技術は顔に深いしわが刻まれたベテラン農家が独占するような神秘的なものではない。あるレベルまでなら体系化が可能で、短い期間で到達できる。

本稿でとりあげた生産者たちはなお発展途上にある。栗本は「10年、20年とコンスタントに続けることができるならすごい」と話し、小林も「自分はまだまだ修行中」と語る。この謙虚さこそ、かれらの伸びしろの大きさであり、新規参入を促すことがいかに日本の農業を活性化させるかを示している。

詳細は、<http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20131114/255868/?P=1&rt=nocnt>


                         トップページに戻る               ▲ページの先頭に戻る

サイトマップ商品一覧
ふんわりシフォン日記お客様のご感想集Mrs.KURIの簡単レシピ集ふれあい写真館

FLOURひろ:〒145-0071東京都大田区田園調布1-31-11:tel 03(5755)5050