トップページ知って得する講座三遊亭円楽「味な話」

三遊亭円楽「味な話」

読売新聞日曜版2月3日、10日、17日に連載された全てを転載しました。

修業時代に即席「居酒屋」・・・2月3日掲載

生まれ育ったのは下町。東京都墨田区石原。錦糸町と両国の間、昔から本所と呼ばれている地域だった。貧乏人のせがれで、オヤジもかあちゃんも働いていたから、夕食は惣菜が多かった。コロッケや串カツ、野菜炒め……まだ日本が発展途中の時期だったから、あまり上等なものは食べてこなかった。

だから、というわけではないけれど、高価なものを食べたい、という欲求はあまりない。むしろ素朴で気取らない「粗食」の方が今でも好きだ。うまい米をちょっと硬めに炊いて、自分で丁寧にすったトロロイモをそこにかけて――それに、湯豆腐でもあれば十分。

両親が働いていて、鍵っ子だったから、自然と子供の頃から料理もしていた。基本的に器用なんだろう。冷蔵庫の中にあるものでパッパッと適当に作ってしまう。魚もさばける。小出刃と柳刃と、包丁も何丁も持っているから、大体のことはできる。

前座、二ツ目時代、まだ落語家として売れる前は、仲間で集まってだれかの家で酒を飲んでいたけれど、その時は、即席の「居酒屋」を開業していた。

冷蔵庫の中身を調べて、何が作れるかを考えて、「オムレツ200円」とか「オムライス250円」とか、全部メニューを書きだしておく。「なんだ、金を取るのかよ」っていう仲間もいるけど、こういう風にはっきり書いておいた方が、遠慮なく食べられて、いいじゃないか。そんな風に考えたのだ。

普段も家でカレーなんかを作り置きしていた。ジャガイモは「足が早い」から入れるのをやめて、肉もひき肉を使って、何日も持つようにしてあった。(春風亭)小朝や(立川)ぜん馬なんかは、ぼくが居ないときに勝手にアパートに上り込んで、そのカレーを食べていたものである。ベランダでキムチを漬けていたこともある。

そういえば、子供の頃の楽しみは、家庭でギョーザを作ることだった。市販の「ギョーザの皮」を買ってきて、家族総出で、キャベツやらひき肉やらの具を詰めていく。100個ぐらい拵えて、みんなで焼いて食べたものだ。おかげで今も、ギョーザは大の好物なのである。その時の「美味しい」記憶が、料理を苦にしなくなった原因かもしれない。
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漬物でさささっと飯・・・2月10日掲載

つくづく、自分は日本人だなんだな、と思う時があります。コメの飯が大好きなんです。

戦後物のない時代に生まれ育った私は、決してグルメではないが、それでもコメだけは美味いまずいが分かる。

幸い、長く落語家生活を送ってきて、それなりに日本全国に知り合いができたので、各地からコメを送っていただけるようになった。自宅の一角にそのコメを保存するスペースが作ってあって、送っていただいた順に食卓にのせるように心がけているのだが、ある日突然、「味が変わったな」と感じる瞬間がある。

実際、その時が間違いなく、コメの”切り替え時”なのである。

「おまんま好き」にとって、こたえられない食べ物のひとつが「おにぎり」だ。誰が考えたのか知らないが、本当に考えた人はエライ、と褒めてしまおう。

持ち運びも便利だし、小腹がすいた時にひとつ食べると落ち着くし、二つ三つ食べると、ちゃんとした食事にもなる。シャケとか、梅干しとか、具になるものによって味も変わる。茶漬けやチャーハンにしていい。パンじゃこうはいかない。

海外でもコメの飯を楽しめるように、いつも「お茶漬けのもと」を持って歩いていた。役に立ったのは、香港が中国に返還された後の、1999年にかの地に行った時のことでした。

師匠(五代目三遊亭圓楽)と一緒だったのだけど、思いついて朝出たおかゆにかけてみたら、これが美味い。師匠も「あられがカリカリしていて、こりゃいいね」。塩気もいいネ。「まだ持っているんなら、よこしなさい」――。師匠は滞在中、ずっとそれでおかゆを食べていた。

その時のことを永谷園の人に話したら、「うちが作っているのはお茶漬けのもとで、おかゆの具ではないんですけどね」と苦笑いされてしまったが。

お茶漬けのもとだけではなく、子供のころから「ふりかけ」も好きだ。らっきょとか沢庵とか白菜の浅漬けとか、ありあわせの漬物でさささってかき込むおまんまは本当にうまい。パパパ、と手軽にできて、さささ、かき込める。そんな食べ物が好き、基本的には。噛むのが面倒なのかな。

何かあったら即働けが修業。そういう生活が長かったから、そんな性癖になったのかもしれない。
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師匠と好みが同じ・・・2月17日掲載

食べ物に対する執着心が薄い、っていえば、ウチの師匠、五代目三遊亭圓楽もそうだった。お寺の息子なんだけど、口の中に食べ物を流し込むような早食いだったし、ゴテゴテ豪華な料理より、すっきりした“素食”が好き。基本は、私と同じ江戸っ子なんですネ。

私が二ツ目になった後、26歳くらいの時かな。師匠のおかみさんが夏休みでどっかに行っちゃって、前座の弟子たちが朝食を用意したことがあった。

手を替え品を替え、工夫した料理を色々出したみたいなんだが、食べてくれないんだね、師匠が。

「どうしましょう」って相談されて「仕方がないなあ」って、私が出張って行った。用意したのは、炊きたてのおまんまとおつけにこうこ、それだけ。師匠は、みそ汁をご飯にぶっかけて美味そうに食べている。

「やっぱり、お前がいてくれりゃ、いいんだよなあ」

食べ物の好みが同じおかげで、そんな“お褒めの言葉”までいただいた。

何年前だったかなあ。師匠と偶然、仕事先で出会ったこともある。新潟県の月岡温泉だった。師匠は農協で、あたしは青年部かどこかで講演をしたんだけど、「こんな広い日本で同じ日に同じ仕事なんて珍しいねえ」って話になって、一緒に電車で帰ろうか、ってことになったんだ。

そうしたら、青年部の人かだれかが、「円楽師匠、お米好きですか」って。

「そりゃあ、好きですよ」

「いいお米がありますから、いかがですか」

20キロばかりもらえることになった。「家まで宅急便で送りましょうか」って、その人は言ってくれたんだけど、師匠は「いいよ、そんな面倒なことしなくても。ウチの弟子が持って行くから」――。

もういい年齢の真打ちなんだよ、こっちも。お宅に行ったら、おかみさんがびっくりしてねえ。「何もそこまでしてくれなくても」。そういうのは、前座の仕事だからね。

でもね。師匠からみると、弟子ってのはいくつになっても弟子なんですよ。こっちもね、“師匠孝行”をする機会が年を取ってからあまりなくなっていたからね、「こういうのもたまにはいいな」と思っていたのも事実なんです。
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五代目三遊亭圓楽師匠と弟子六代目三遊亭円楽の温かい絆こそ、日本ですね。
そんな「日本」が失われているからでしょうね、
教育現場でのいじめやスポーツ界の体罰など後が絶たないのは。。。


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