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論点スペシャル“「コメが主食」変わるか”

11月5日の読売新聞の論点スペシャルは、“「コメが主食」変わるか”で、原田信夫さんと岩村暢子さんの主張をご一読いただければと、全文転載いたしました。

お二人をご紹介しますと、原田さんは、1949年、栃木県生まれ。国士舘大学21世紀アジア学部教授(日本生活文化史)。ウィーン大学客員教授などを経て現職。著書に「歴史の中の米と肉」「なぜ生命は捧げられるか」など、です。

一方、岩村さんは、1953年、北海道生まれ。アサツーディ・ケイ 200Xファミリーデザイン室室長。食と家族の詳細調査を15年にわたり続け、著書に「家族の勝手でしょ!」など、です。

街の商店には新米が出回っているが、家庭のコメの購入額は減り続けている。8月に公表された総務省家計調査によれば、2011年に1世帯(2人以上の世帯)あたりの購入金額は2万7425円と、初めてパンの購入金額(2万8321円)を下回った。日本人の主食は変わっていくのだろうか。(聞き手・文化部 小林佑基)

◇愛着捨てられない…原田 信男氏

個人の食生活には食文化の長い歴史が集約されている。体に染み付いた味覚体系や、観念的・潜在的な食事のイメージは、歴史であり文化だ。それは急激には変わらない。コメへの根強い愛着も、簡単に捨てられるものではない。

例えば我々は、ヨーロッパなどで長期間、コメなしで生活できるかというと、難しいのではないか。若い学生を2〜3週間の海外研修に連れて行くと、途中で例外なくコメのご飯が食べたいという。1993年の天候不順による凶作で、タイなどからコメが緊急輸入されたが、日本人は食味の違う輸入米への抵抗感が根強く、国産米に固執した。

日本は千数百年間、コメに執着してきた歴史がある。コメ作りに集中させるため、動物の肉を食べることをタブーにしたほどの固執ぶりで、こんな国はほとんどない。この歴史が私たちの体の中に根付いている。パンが増えたから食生活が変わったとは、単純にはいえないだろう。

雨が多く、大量の水がある日本の気候風土にコメは非常に適している。麦など他の作物と比べても、より多くの人口を支えられる面や栄養面、食味の面からいっても優れた食べ物だ。小麦はそのままでは食べられず、粉にしてパンなどにするしかないが、コメはその必要がない。今後も、これを利用しない手はない。これからは、コメという主食をベースにしながら、貿易を通じ色々な食料で国民の食生活を支えていくしかないだろう。その意味では、ある程度の食料自給率も必要だ。長年育んできた文化は、大切にすべきだ。

◇   ◇

ただ、だからといって、違う食文化を拒絶することはない。日本の食文化と簡単にいうが、それは時代によって変わる。1980年代にはたんぱく質でみた魚と肉の消費量が逆転した。数十年後には、コメ・魚・野菜という日本食のイメージは成立しないだろう。すき焼きやトンカツ、カレーを日本食と捉えていいように、日本は海外の料理をうまく取り入れてきた。飲食店などで世界の食文化を楽しむのもいいことだ。

ご飯といえば白米ばかりだと思うのも間違っている。農村などでは高度成長期が始まるまでは長らく、白米だけのご飯はハレの日だけで、普段は麦、アワ、ヒエを混ぜて食べていた。1人当たりのコメの年間消費量は、近年はピーク時(1962年度)の半分以下だが、生活が豊かになって副食が増えたことが背景にある。かつては、たくあんやめざしをおかずに、丼飯でご飯を食べていたからだ。

◇   ◇

現代の食生活では、調理の簡便化や画一化が進み、提供のされ方もさらに多様になるだろう。外食や調理済みのそうざいなどへの依存もますます強まる。だが、食文化に関心を持ち、大事にしようとしている人もかなりいる。一時代前まで、食を考えることは、非常に低く見られていたが、「男子 厨房(ちゅうぼう)に入る」となった現代はだいぶましになった。

食文化への関心や正しい認識の有無は大きな違い。食べることの根源的な意味を考えさせる食育が重要だ。我々が食べているのは、植物にせよ動物にせよすべて地球上の生命。基本的には大地から作らざるを得ないもので、地球上の循環の産物といえるが、そうした見方が非常に弱くなっている。

なぜ日本にコメが適していて、こういう文化が発達したのか。さらには食料の供給の意味まで考えてもらいたい。そうすれば、日本の大地に根ざしたコメの食文化が完全に滅びることはまずない。どんな食生活を選択するかは、社会全体で考えていかなければいけない課題だ。

◇家族のあり方反映…岩村 暢子氏

パンがコメを上回った現状には、二つの大きな原因がある。今の若者がコメより洋食やファストフードが好きだからという論調は、正しい分析ではない。

まず、1950年代から60年代にかけ、政府が「米食偏重の是正」を推進していたことを忘れてはいけない。「コメでは子どもの発育が悪い、頭のいい子に育たない。野菜やコメより肉を、油を」と、農村を含め全国で言っていた。

60年代には、ほとんどの子どもが給食でパンを食べるようになった。ダイニングテーブルでのパン食を、近代的スタイルとしてはやらせた。その影響を受けて育った世代が国民の大半を占めるようになり、今回の結果が出た。いわば、政府の施策の歴史的な集大成が表れた。背景には、産業の生産性を高めるため、食事の簡便化・効率化が進められたこと、アメリカの余剰小麦を支援として受けた経緯もある。日本人が自らパンを望んだのではない。

二つ目には、今日の家庭生活の大きな変化がある。子どもの塾は遅くまでやっているし、父親の労働時間も不規則になり、母親も働くのが当たり前。ご飯の時間に合わせて帰る人は誰もいない。帰宅や出発の順番に食べるとなると、父親や子どもでも自分で用意できるパンやラーメンなどになりがちだ。これらは一皿で食事の体をなすが、白飯は日本人に、一汁三菜のイメージを突きつける。準備が面倒で効率が悪い。

◇   ◇

そもそも家族の形が大きく変わってきている。個々の都合や好みをかなえられてこそ、家族という集団が成り立つと考えられている。ゆるやかなつながりで許容し合えるのが、新しい家族像。好きなものを好きな時間に食べる今の食卓は、その帰結だ。家族での外食でフードコートや回転ずしなどがはやるのは、誰からも異論が出ないからだ。

ただ、個の好みばかりを尊重していれば、短期的には栄養や健康の問題が起き、長期的には家庭の求心性が失われる。家族が一緒にいる意味も容易にほどけていく。だが、今の家族は、互いの距離を近づけたいとも思っていないのだろう。この距離感は、家族間の合意で作り上げた、快適なものだからだ。

実際、東日本大震災後に「家族の絆」が盛んに言われるようになったのは、絆が希薄だから。聞くと多くの人が「うちはそんなことを言っていられないけど、日本人は家族の絆を見直すべきだ」と話す。テレビのコメンテーターのように、どこにもいない「日本人」に向かって絆と言っている。

食事に手間暇かけるより、ほかのことが大事になるなど、食事自体の優先順位も低下した。日常の食事はなるべく手をかけず、効率よく腹を満たすことが大事で、極言すればガソリン補給に近づいている。一方、家族がそろう時の食事は、レジャーになっている。テークアウト尽くしやたこ焼きパーティーなどで楽しむことを優先している。

◇   ◇

家族関係、日本社会のあり方の集大成が、食卓に表れている。何の施策もせず放っておけば、パンとコメの差は広がる流れにあるし、食事は簡単な方向に進むだろう。だが、国の施策があったからここまでパンが伸びたと考えれば、今も私たちがどんなビジョンを持つかだ。

家庭の中には、現状を変える必然性が希薄だが、教育現場、企業や生産者などがそれぞれの持ち場で、目指す社会に向けた行動を起こすしかない。日本人がコメを嫌いになったわけではなく、牛丼などの市場は伸びているのだから、工夫の余地はある。

◆寸言…食文化を左右する政策の重み自覚を

食文化が時代に応じて変化するのはある意味当然だが、変化の要因に政策的な誘導が大きな比重を占めてきたという指摘は驚きだ。

原田氏は古代から、為政者がコメを神聖化し、コメ中心の価値観を植え付けたと指摘。そして、経済価値をすべてコメで測る江戸時代の「石高制」により、コメ絶対主義が完成したと説く。だが、その後に政策は急旋回。敗戦後、国が今度は、「米食偏重の是正」を押し出した。

岩村氏は農業人口を工業人口に振り向け、人々を都市に向かわせた政策と、コメがパンより劣っているとするキャンペーンが歩調を合わせたと指摘。「人々の内側から好みが変化して、主食が変わるなんてあり得ない」と強調する。

1970年代以降、国は一転して学校給食へのコメ導入など、米食推進に傾く。だが、国民の意識は変わらず、コメの消費量はじわじわと減る傾向だ。岩村氏は以前、農林水産省で講話をした際、国がパン食推進・米食偏重是正を目指していたことを、若い官僚たちが知らなかったことにショックを受けたという。コメの絶対視といい、米食偏重の是正といい、政策はそれほど食文化に影響を及ぼすのに、政策担当者がそれでは心もとない。

伝統的な食文化を守るのか、栄養や健康を優先するのか、食料自給率などを重視するのか、総合的な見地から政策目標をたて、国民に説明責任を果たしながら、食料政策を進めていくことが重要だろう。(小林)
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論点スペシャルと同じ11月5日、「豊作でも高騰、矛盾だらけの政策見直せ」と題する社説で、「今問われているのは、消費者ニーズに応えるコメ政策である。このままでは、消費者のコメ離れも一段と進みかねない。」と述べています。

社説を書いた人は、取りも直さず読売新聞を代表する方だろうと思いますが、同じ社内の一記者に過ぎないであろう、論点スペシャルの聞き手である文化部小林佑基さんの「寸言…食文化を左右する政策の重み自覚を」を読んでどう感じるのでしょうか。農業政策を社説するなら、最新の栄養学の素養を持っていただきたいものです。

ピンピンコロリ(PPK)は、どなたもが願っていることです。平均寿命と健康寿命との差が少なくなればなるほど、社会保険料の削減にもなります。ですから、消費者ニーズに応える政策でなく、PPKになるための栄養政策の奨励であり、その栄養政策に基づく農業政策の推進ではないでしょうか。それは、コメ離れも防止できるのではないかと思います。
<http://premium.yomiuri.co.jp/pc/?from=yolgn#!/news_20121104-118-OYT1T00913/scrap_list_FD00000000>


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