トップページ知って得する講座「フードデザート」って、ご存知ですか。

「フードデザート」って、ご存知ですか。

2月1日のNHKクローズアップ現代で“フードデザート〜広がる食の砂漠〜”として放送しました。
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今、都市部のお年寄りの食卓に異変が起きている。景気低迷により中小のスーパーが次々と閉店。高齢者の買い物環境が悪化し、肉や野菜、魚、果物など、生鮮食品をほとんど摂ることができない“フードデザート(食の砂漠)”が広がっていると言う。ある大学の調査では、こうした地域に住むお年寄りの2人に1人が「栄養不足」であるという。調査に参加した専門家は、高齢者の慢性的な栄養不足は、老化を加速し、肺炎や脳卒中などのリスクを高め、寝たきりにつながりかねないと、危機感を強めている。90年代、“フードデザート”の問題が深刻化したイギリスでは、国を挙げて対策に乗り出し、街づくりを根本から見直すことで危機を克服した。日本の現状と、イギリス北部の街での解決のプロセスを取材。その方策を考える。
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フードデザートの事例が3月11日に開港する茨城空港の茨城県県庁所在地、水戸のJR水戸駅前であったことにビックリしました。

以下は、18年前の1992年に発行された、丸元淑生著「生命の鎖」から抜粋、転載したものです。大変興味深いことに、茨城県つくば市の事例です。
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都市には八百屋、魚屋、豆腐屋が必要だ

この京都と対照的なのが、学園都市のつくば市である。京都遷都の1180年後につくられたこの都市は、当然、都市についての知識の蓄積の上に計画されたものと考えるのが常識だろう。ところが、つくば市を見て回って驚くのは、八百屋、魚屋、豆腐屋が見当たらないことである。そういう有様では近接農家との間に相互依存関係が生れているとは思えない。

この都市の計画者は、食品はすべてスーパーや百貨店で買えると思っているのだろう。そこではただ買えるものが買えるにすぎないのだが(コンピューターで管理されているようなところでは、売れないものはどんどん外されていき、売れるものだけが売られるようになる)、都市生活者の栄養の問題などはまったく考慮していないのかもしれない。地図の上に線を引けば都市ができるとでもいうかのように、だだっぴろい自動車道路が縦横に走っていて、都市の胃袋というべき赤ちょうちんや小料理屋の影もない。つくば市は海から離れているので、鮮魚が簡単に手に入る条件にないが、そのための特別の配慮がなされているとも思えない。

林氏は、京都でよい野菜がつくられるようになった事情の一つをつぎのように説明している。「京都は海から遠く離れているために、川魚は別として海の魚介類を手に入れることが困難であった。たとえ手に入ったとしても、その大半は乾物であった。こんな状態であるから、一般庶民はもとより貴族でも菜食が中心であり、いきおい品質のよい野菜を求めるようになった」

つまり、食の理想から遠い場合にはそれを克服するためのさまざまな工夫がされなくてはならないのだが、つくば市の都市計画者は、そもそも食そのものに何の関心も抱いていないかのようである。

私は住みやすい都市の条件の一つは、歩いて5分くらいの距離に、八百屋、魚屋、豆腐屋、酒屋、雑貨屋などがあることだと思っているが、新しく都市を計画する場合には、それは可能なはずである。そういう店はみな零細な家族経営なので、高い家賃ではやっていけない。だから、住宅地を円形に展開して、中心を公有地にしておき、そこに行政が経営の成り立ちうる家賃で誘致するのである。一番遠い家でも店までの距離が歩いて5分という規模の円にして、人口が増えるにつれて、同様の円が一つまた一つと増やしていく計画にしておくことが望ましい。そして、その予定されている円の中心部は、行政が公有地として確保しておくことである。

むろん、地形その他の条件に応じて円形にこだわる必要はないが、歩いて5分以内の距離に、家族経営の小規模な魚屋、八百屋、豆腐屋があった場合には、住民の栄養の状態が非常によくなる。広域流通によらない、力をもった食品が近くで手に入るようになるからだ。また、そういう店がないと、日本的な食事はつくれないのである。

第2章でみたように、現代人の食の問題点の一つは炊事時間の短縮で、それが肉への依存度を高める結果になっているのだが、食事の質は炊事時間だけでなく、材料を買うために費やされる時間や労力によっても大きく左右される。近くに八百屋、魚屋、豆腐屋、酒屋といった基本の材料を売っている店がある場合には、時間も労力もあまりかからない。だから、十分なエネルギーをもって料理にとりかかることができる。

しかし、遠くのスーパーや百貨店で買いものをして帰宅した場合には、レジの前に行列したり、人混みのなかで品選びをしたり、大きな荷物をさげて家路を急いだりで、帰りついたときはもうくたくたになっているのだ。それから大急ぎで料理をつくらなくてはならないとしたら、料理に割かれるエネルギーはほとんどゼロといってもよいだろう。それではむろんよい料理はできない。

家の近くの店に「御園」的な力のある食品があり、スーパーや百貨店には広域流通の大量生産食品しかないとしたら、その差はあまりにも大きいといわなくてはならないだろう。

都市計画の基本に住宅区域内の基本食品店がなくてはならない理由である。

〜中略〜

市街化区域内にこそ農地が必要なのだ

どのような職業であれ、それに未来があって世間から評価されていなければ、その職業につこうとする青年はいないだろう。既に農業に夢を託す青年が減り、内部崩壊をはじめているわが国の農業が、コメの自由化を契機に大きく崩壊することは目にみえている。

しかしここでは、農業経営や農業の経済的な議論は控えることにしよう。それについては専門の学者やジャーナリストによるすぐれた著作が多くある。ここまでの食についての考察によって、読者にコメについての一人一人の考えが生れているとしたら、私がこの本を書いた目的はすでに果たされているのである。ただ最後に一つだけ、市街化区域内農地の問題をとりあげておきたい。といってもこれはすでに時間切れで、廃業届を出してしまった農家が、再び農業をやることはできないのだが、だからこそどうしても考えておかなくてはならない問題である。

食物に亜硝酸が含まれていると、それを原料として、消化管のなかで強力な発ガン物質のニトロソアミンが生成される。ビタミンCとEがその生成を抑制することがわかったいるけれども、亜硝酸の量が多ければ完全には生成を抑えることはできない。

また、野菜に含まれている硝酸は、保存中に亜硝酸に変わることが知られている。もともと硝酸の含有量が多く、かつ保存期間が長ければ、それだけ亜硝酸の量は多くなるわけである。

その点について、東京水産大学名誉教授の天野慶之氏は、多種類の野菜を、有機肥料と化学肥料で栽培して比較している。その結果は左表のように、ほとんどの野菜において有機栽培のほうが硝酸の含有量は明らかに少なかった。

野菜の硝酸含有量 単位ppm
 
有機肥料
化学肥料
大根 葉
320〜1150
2680〜2930
〃  根
160〜1900
2030〜2200
はっか大根 葉
490〜1430
960〜2870
〃     根
820〜2770
550〜3210
かぶ 葉
1950〜3350
4820〜5880
〃  根
950〜2640
1900〜3420
キャベツ
320〜 680
340〜 650
レタス
490〜 620
500〜 970
トマト
50〜 70
60〜 70
キュウリ
170
90
ナス
560〜 790
810〜 960
枝豆
50〜 55
50〜 55

これからも、野菜は新鮮なものほどよく、有機栽培したもののほうがよいことがわかるけれども(そして、ニトロソアミンは一例に過ぎないけれども)、都市に近接した農地がなければ、そういう野菜を手に入れることはできないだろう。

“市街化区域内”に農地があってはじめて、伊勢神宮の「御園」的な有機栽培による多種類の新鮮な野菜の供給が可能となるのである。それが住みよい都市の条件の一つであることは前述したが、政府は1991年9月に、「新生産緑地法」を施行して、市街化区域内の農家に農業を続けるか廃業するかを迫った。しかも、1992年4月30日までという短い期限つきである。

そういう重要な判断を、そんな短期間で正しく下ろせる人はごくわずかであろう。判断するにも、農業の未来は何も見えていないのだ。「御園」的な農業を行って都市住民と近接農家との相互依存関係を強めるというようなプランが提示されていれば違っていたかもしれないが、地方自治体は締め切りを1ヶ月延長して対応したにもかかわらず、農業を続ける決断をした農家は全国平均で32%でしかなかった。

「新生産緑地法」というのは、今後30年間営農すること、農地が基準の広さを有したこと、などの条件を満たせば生産緑地として指定され、固定資産税も調整区域並みの課税となるが、宅地化を選択すれば、農業を続けようと宅地として運用しようと、宅地並みの課税となる、という法律である。

「生産緑地」を選択する農家が32%程度に止まったのは、(東京都と京都府が約51%で最も高く、中部圏は21%、つくば市のある茨城県は11%と最も低かった)、営農30年という足枷をはめておきながら、営農環境の未来図を示すことがなかったからに違いない。

これで、わが国の多くの都市の住民は、「御園」をもちうる可能性をほとんど失ったといえる。この法律の立案者には、まず栄養政策がなく、だから当然ながら、それに基づく農業政策がなく、ただ経済のみの論理で、宅地を増やそうという計算だけがあったと思われる。これほど農民を踏みつけにした農業政策はないだろう。

もしも、こういう政策の推進者によって、コメの自由化が実施された場合には、コメの自給の不可能、農業の崩壊。国土の荒廃、広範な健康のレベル低下を招くであろう責任を、われわれはもはや後世に対してどうとる術もなくなるのである。

それに対してわれわれは、ラッペが主張したように、もっとも個人的なことから始めなくてはならないだろう。日本人の食の未来は、いまわれわれが何を食べるかにかかっているのである。
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「生命の鎖」は「何を食べるべきか」と改題して、講談社+α文庫より発行


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