トップページ知って得する講座人は弱くて崩れやすい。だから、僕はあきらめない。

人は弱くて崩れやすい。
だから、僕はあきらめない。

「十分に長生きをしたあと、ぴんぴんころりになれば最高。ぼくはぼく自身のために、インターバル速歩とがんばらない筋トレをし、毎日トマト寒天か皮つきリンゴを食べている。体はどんどん調子がよくなってきた。忙しいけれど元気なのだ。
トマト寒天ダイエットは・・・<http://diet.goo.ne.jp/member/topics/0507_no1/>
1人でも多くの人が元気で長生きしてほしい。人と人、命と命はつながっていると信じている」と仰る諏訪中央病院 名誉院長鎌田 實先生のお話を、カゴメスマイルクラブ会報誌やさいプレス2007秋「ナチュラルトーク」より転載します。ご一読下さい。

家は貧乏だった。母は心臓を患っていた。

医者になろうと思ったのは、家が貧乏で病人を抱えている、そんな状況を変えたいと思ったからです。その一方で、「ドクトルマンボウ航海記」などを読み、「こうやって海外を渡り歩くのもいいな」などと呑気なことを考えたりもしていました(笑)。高校3年生の夏、A.J.クローニンという作家の全集を読みました。彼は作家であり医者でもありました。若い医者たちが炭坑の貧乏な町の人たちを必死に救う話が僕は特に好きで、自分もこんな医療がしたいと思いました。その思いを父に話したところ、これまで反対していた父が言いました。「うちは学費も生活費も出せないし病人を抱えている。そんな病人や家族の人たちがどんな思いで医者を頼って来るのか、その思いを忘れるな」と。僕の今なお、この父の宿題に応えようと、医療の世界で悪戦苦闘しています。

「長野県の赤字の病院で医師を捜している」

大学を卒業してすぐ、「長野県茅野市に、医師がいなくて困っている病院がある」という話を聞いて、僕は真っ先に手を上げました。クローニンのように、地域に密着した医療がしたかったのです。そして少々ワクワクもしていました。蓼科とか信州とか、さわやかなイメージの土地で、患者さんと心を通わせるあたたかな医療。患者さんの命を救いながら、自分の腕もメキメキと上達ー。そんな都合のいい光景が頭の中に膨らみました(笑)。ところが赴いた土地は、ひと気のないひっそりとした山中。ひと気がないのは山ばかりでなく、「病院も」でした。僕の腕をメキメキと上達させてくれるはずの患者さんが、そもそもいない。まずい・・・一刻も早く東京へ帰ろう。そう思ったあの日から、もう30年以上が経ってしまいました。

生活習慣は「文化」そう変えられるものでない

当時、長野県茅野市は全国でも有数の「脳卒中多発地帯」でした。脳卒中は、多くの場合、後遺症が残り、たとえ命を救っても「生きててよかった」と思ってもらえることが難しい病気です。そこで僕たちは「とにかく倒れないこと」を目指して、地域へ出て話を聞いてもらいました。減塩や生活習慣について、一生懸命話しました。話が終わると「いい話だったよ先生。さあお茶をどうぞ」と、お醤油がダバダバかかったしょっぱい野沢菜が出ました。僕たちは心の中で悔し涙を流したものです(笑)。でも、そもそも野沢菜は、江戸時代から続く、この土地誇りの食文化であり、最高のお茶請けです。その習慣は、そう簡単に変えられるものではありません。僕たちは、地域の人たちにとっての「生活習慣」とはどういうものかを根本から考えるきっかけをもらい、それを健康維持に結びつける難しさを学びました。同時に、地域の人たちも、自分の生活習慣を見直すことが、病院からどっさり施される薬や注射より、はるかに効き目があるということを、少しずつ感じ取ってくれていったようでした。次第に、勉強会のお茶請けが、お醤油ダバダバの野沢菜から、寒天料理やりんごに変わっていきました。

茅野は「心身ともに健康な地域」

茅野の人たちはもともと勉強熱心で、こうしたきっかけを足掛かりに、「自分たちができること」を探して、自主的に勉強会を開いていきました。地域特産の寒天や凍豆腐の料理講習会や、歩け歩け運動など、じつに自由で多彩でした。さらに、自分たちのことだけでなく「命を支えるのに、こんなものがあったらいいなあ」という思いをどんどん形にしていきました。たとえば、寝たきりのお年寄りを入浴させてあげる「お風呂に入れちゃう運動」。一時的にお年寄りを預かる「デイケア」。いずれも今となっては国の制度ともなっている活動ですが、「喜ぶ顔が見たい」というシンプルな思いが、みごとにいろいろな形を作っていきました。今、茅野市は「脳卒中多発地帯」の汚名を返上して、日本有数の「長寿地域」となりました。それだけではありません。「思いやりの心」が満ちた、日本有数の「心身ともに健康な地域」だと、胸を張って言うことができます。

その人らしい生き方のために、僕たちは絶対にあきらめない

地域の人たちとともにつくる医療。そんなことを目指し無我夢中で走り抜けた30年。今、僕の肩書きは「院長」の上に「名誉」までついてしまって、何だか大変なことになっています。診察は若い医師たちにバトンタッチしていますが、僕はひとりのおじいちゃんの往診だけは続けています。「最後までずっと付き合うよ」と約束したのです。そのおじいちゃんは現在95歳。25年前に進行性の難病にかかり、僕が告知したのでした。「つらい話なんだけれど、じき、歩けなくなって、話せなくなるよ」。でも彼は負けませんでした。歩けなくなったあとも、ハイハイで泥だらけになり野良へ出ました。話せなくなると聞いて、ワープロを買って練習を始めました。そしてそのワープロで日記を書き、趣味の株式投資まで続けました。病気なんかに支配されないで今も自分らしく生きています。その人らしい生き方を支援する。そのために僕たちは絶対にあきらめない。それが、僕らの目指す医療の形なのです。

大変な時ほど、「もてなしの心」を

この30年。僕はこの地域の人たちから、たくさんのことを教えてもらいました。忙しい現代人はストレスが多いものです。僕は、ストレスを感じる時ほど、人をもてなす心を思い出すようにしています。たとえばひょっこりあらわれた友人を自分のおすすめの店に連れて行ったとき「これ、うまいなあ」と喜ぶ顔に、嫌なことも忘れ、癒されることはないでしょうか。誰かの喜ぶ笑顔は、トゲトゲしたあなたの心をふっと和らげてくれるはずです。人は弱くて崩れやすい。崩れやすいから支え合って生きていく。人は誰でも自分が存在する理由がほしいのです。あなたがしてくれたことで誰かが喜ぶ。その喜んだ顔を見てあなたが幸せな気分になれる。―人間って単純だけど、いいもんだな。僕はそんな中で、思いやりの医療がこれからも日本にどんどん広がって行くよう努力し続けたいと考えています。そして、そうすることが、父が僕に出してくれた宿題に応えることなのだと思っているのです。

--------------------------------------------------------------------
がんになったとき、つらい心のなかで『がんばらない』の主人公たちに会ってほしい。脳卒中のお年寄りを介護しているお嫁さんに、『がんばらない』の主人公たちの声を聞いてほしい。少し勇気をもらえるのではないだろうか。

障害をもって苦しんでいる人、脳卒中や心筋梗塞で倒れた人、糖尿病で治療を受けている人、がんの告知を受けて悲しみのなかにいる人、がんとの闘いに希望を見出そうとしている人、がんとの闘いに疲れた人、生きている意味が見えなくなってしまっている人、『がんばらない』の主人公たちに会ってほしいと思う。

鎌田 實著「がんばらない」のご一読をオススメします。


                         トップページに戻る                  ▲ページの先頭に戻る

サイトマップ商品一覧
ふんわりシフォン日記お客様のご感想集Mrs.KURIの簡単レシピ集ふれあい写真館

FLOURひろ:〒145-0071東京都大田区田園調布1-31-11:tel 03(5755)5050