トップページ知って得する講座電子ジャー炊飯器が日本の伝統的な食文化を崩壊させた!

電子ジャー炊飯器が
日本の伝統的な食文化を崩壊させた!

10月14日、15日の2夜連続で放送されたNHKスペシャル「ライスショック あなたの“主食”は誰が作る」はご覧になられましたでしょうか。

アメリカ、中国、台湾でコシヒカリが生産されていることに驚きましたし、日本の23倍以上の大規模化で生産されるアメリカのコシヒカリは3分の1のコストでした。恐らくこのままでは、外国産のコシヒカリを食べることになるでしょう。

「次の世代のためにも、日本の農業を守り育てていくべきか、コメであっても海外に委ね、保護する必要はないと考えるべきか、その決断を迫られているのは、消費者一人一人ではないでしょうか。その決断が、これからの国のあり方を問うことになる」とその放送は締めくくられました。

そこで、長文(ハードブック4ページ分)になりますが、コメの自由化がマスコミの争点になっていた15年前に執筆が始められ、1992年に発行された名著、丸元淑生著「生命の鎖」のまえがき全文を転載いたしました。

子母沢寛は、飯は冷やに限ると書いているが、私も冷飯をおいしいと思って食べるようになってもう10年以上になる。

「絶対熱い飯は喰わない。いや喰えなくなってしまった。そのため朝など、女中さんが困ることもあるらしいが、少し硬目の冷飯に、その代りだしのよく利いた舌の焼けるようなうまい味噌汁、これが私の一番好物」(『味覚極楽』中公文庫)

絶対熱い飯は喰わないという域ではないけれども、私も少し硬目の冷飯を噛みしめて食べるときに、すべての料理の味がよくわかる。食事が楽しいものになり満足する。それで知ったのは、お櫃がおいしくご飯を冷やす工夫であったことだ。お櫃の木がご飯から適度に水分を吸いとり、また適度に水分を戻して、べたつかず乾燥しすぎずの程よい弾力を保たせてくれるのである。

だからわが家では、電子ジャー炊飯器などは絶対に使わないが、こうした文明の利器がたちまち普及してしまうのはなぜだろうか。ジャーで長時間保温しつづけていればコメの栄養はこわれていく。それでもご飯はあたたかいほうがよいという人が多いからだろう。栄養なんかどうでもいいという風潮なのかもしれない。

「冷飯を食う」ということばには、「冷遇される」という意味があり、「冷飯食」といったら、江戸時代は家督相続しない次男以下の男のことであった。江戸時代からすでに冷飯は炊きたてのご飯の下位に位置づけられてしまっているが、「男子たるもの、あえて冷飯を食うくらいの覚悟ができていなくてはならん」などともよくいわれる。食事も人生も、炊きたてのご飯ばかりでは成り立たないのだ。電子ジャーは、それを無理に成り立たせようとする工夫といえるのだろう。

私はお櫃に文化を、電子ジャーに文明を見るが、文化は一人一人の行為によってしか継承することができない。鍋でご飯を炊いて、お櫃に移す手間をいとっていたらその文化はもう自分には伝わらないのだ。自然に冷えたお櫃のご飯を食べる場合には、むろんそれと調和した料理が組み合わされる。噛む回数が多くなり、食事の時間も長くなる。そして、味噌汁、根菜、青菜、小魚など、多種類の料理がゆっくり(かつ、各自が欲するだけ)食べ合わされることになる。

それに対して、電子ジャーの場合には、吹きながら食べて呑み込むような熱いご飯なので、噛む回数が減り、食事時間も短くなる。これに組み合わされるのは、カレーやハンバーグのような一皿料理になりがちだが、そうした一皿料理にはたしかに冷飯は合わないに違いない。

だから、電子ジャーが持ち込まれたときから、お櫃が支えてきた伝統的な食文化は、その家庭では断絶してしまうと思ってよい。

電子ジャーは一例で、今さまざまな原因による食の伝統の崩壊があちこちの家庭で起きており、日本人の食事を急激に変えていっている。本書は、栄養学的に見てそれがどういう変化で、どういう未来につながるかを考察したものである。

それは農業のあり方によっても大きく左右されるため、日本と世界の農業を考えることでもあったのだが、とくにコメを自由化するかしないかで、日本人の食の未来はまったく異なったものになると思われる。

なぜかわが国では、主食であるコメの問題が、毎日コメを食べている個々の消費者の立場で論議されることがなく、市民レベルの発言も聞かれないのだが、栄養学にとってコメの問題を考えることは、消費者の立場に立つことに他ならない。

統計上の消費者ではなく、個々の消費者、とはつまり生活者の立場に立ってコメの問題を見た場合には、健康上の脅威とならないことや栄養の方が価格より重要になってくる。わが国のようにエンゲル係数が25%を割っているような場合には、家計に占めるコメの割合が低く、かりに10分の1の値段になったとしても、生活を大きく潤すことにならない。しかし、主食であるだけに、コメに食品としての問題があると、健康レベルを低下させる大きなファクターとなるからだ。

それにまた、自由化によって起きる農業の変化も生活に重大な影響を及ぼす。野菜など他の農産物の生産形態までが変わってくると予想しなくてはならないからである。

そうしたことが重なって食事の実質が変わっていくのだが、その近未来の日本人の食事には、われわれ一人一人が責任を負っているといえるだろう。いまわれわれが何をどう食べるかで、それは変わってくるからだ。

一国の食の伝統は、その民族がすぐれた文化をつくり発展してきた場合には、望ましい食の体系をもつくり出していると思ってよい。むろんそれは継承する価値のあるものだが、日本人はいま、伝統的な食事を失ってしまうぎりぎりのところに来ているように思われる。

家庭で食の伝統が断絶してしまう前に、それが栄養的にみてどのようなもので、なぜすぐれていたのかを、多くの人に知ってもらう必要を痛感したことが、この本を書いた動機のひとつでもある。もしも、われわれの世代で食の伝統をつなぐことができなくなれば、日本の未来を暗いものにすることはたしかなのだ。

コメの問題を軸にして現在の日本人の食事を考えていこうとすると、どうしても過去の食事にまで遡らなくてはならなかったが、栄養学によって照射されたわが国の食の歴史のなかにも、多くのものを見ていただきたい。

あなたは「食の有事」のメニューを何日続けられますか?<http://www.chiffonya.com/shop/kouza/titoku063.htm>

精製度の低い穀類で主たるカロリーをとり、多種類の野菜と果物で、それに次いで多くのカロリーをとること、つまり農作物で大半のカロリーをとることことが最も望ましい食事の組み立ての基本です。

その最も望ましい食事、言い換えれば「最も病気を遠ざける食事」をすることが、コメ離れにブレーキをかけ、農家の助けになる、きわめて知的な行為ではないでしょうか。

外国産のコシヒカリでなく、国内産のコシヒカリを食べたいと思われるのでしたら、農家の厳しい現実に関心を持つようにしましょう。そして、「生命の鎖」の講談社プラスアルファー文庫版「何を食べるべきか」のご一読をオススメします。


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