トップページ知って得する講座倉本 聡の「父の匂い」

倉本 聡の「父の匂い」

その廃屋は岡山の山村の、深い谷間のどんづまりにあった。

昭和20年4月。激しい空襲の東京から逃れて両親と僕ら幼い兄弟は、しばらく放置されていたらしいクモの巣だらけのその廃屋に入った。やけに眩しい晴れ渡った朝だった。竃にころがっていた汚い鍋を、おふくろと妹に洗うように云い、おやじは僕を連れて裏山に入った。そして地に生えた緑の草たちを、これは喰える、これは喰えないと選びながら、傾斜を這って摘み始めた。味噌汁をつくりそこにそれらの山菜を投げ込むと何とも芳醇な春の香りがした。その香りは今も強烈に覚えている。それまで都会で生まれ育ち、喰い物は買う物と思い込んでいた自分が、喰い物は自然の中にあるのだということを初めて知った衝撃の刻だった。そしてそういう採取する能力を、おやじが完璧に持っていること、それを今まで知らなかったことに、幼い僕はショックを受け、そしておやじを尊敬した。おやじはある日また小川に入り、石の下を爪先で探っていたが、いきなり手をつっこみ15センチ程のフナをつかみ出した。そのやり方を僕に教えた。おやじに対する僕の尊敬は増した。

おやじは若い頃田舎を出た。三人の子供を作った頃、おふくろを連れて里帰りをした。本家に親せきが集まって催してくれた歓迎の宴で、本家の当主から質問された。どうだ東京に出て少しは財産を作ったか。ハイ、3百万程作りましたとおやじが胸を張って答えたので親せき一同仰天した。何しろ戦前の3百万である。どうやって作った!と本家の当主が聞きおやじは笑ってこう答えた。子供を3人作りました。一人百万円の宝物です。それが三人だから3百万円。おちょくられたと思った本家は、いきなりおやじを万座の中ではり倒した。この話を僕はおふくろから聞いた。この話が僕は大好きである。

終戦後おやじの事業は破綻し、僕が17の時、病を得て死んだ。借金だけをおやじは遺したが、借金に勝る無限の遺産を生前贈与されたと僕は思っている。

思えば僕は今でもはっきり、おやじの匂いを記憶している。それは僕には何物にも代え難い、父から遺された大きな遺産である。
・・・・・三井住友銀行の新聞広告より転載


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