トップページ知って得する講座糅飯には、庶民の生きる知恵が詰め込まれているんですよ。

糅飯には、庶民の生きる知恵が
詰め込まれているんですよ。

「糅飯」って、ご存知ですか。「かてめし」と読みます。

お米が十分に食べられなかった頃にお米を節約するため、糅(かて)と呼ばれるたくさんの具を増量材として、少量のお米に混ぜて炊きこんだご飯を「糅飯(かてめし)」といい、現在の炊き込みご飯の原型です。伝承料理研究家奥村彪生さんの「糅飯には、庶民の生きる知恵が詰め込まれているんですよ」というインタビューを紹介します。

日本人は、丁寧に育て大切に食べることが上手

日本全国を歩き、土地土地の伝承料理を研究していらっしゃる奥村先生。「そもそも日本には独自の食材や食文化というのがなかった。ドングリなどを拾い、季節ごとの魚や野鳥、野獣を捕って食べていた。そのうち米や雑穀が伝わり、野菜やくだものも伝わった。日本人はそれを自分たちの土地に合うよう育てるのが、とても上手な民族だったんですね。そしてまた、大切に食べることも上手だった。それで日本人の繊細な味覚が育っていきました。この繊細さは、ものづくりなどにも活きていると私は思いますよ」とおだやかな関西弁で話します。

質素だけれども決して貧しくなかった

日本に伝わった作物の中でも、米は日本の気候風土に合い、稲作文化が発達しました。でも、おいしい白米を食べられたのは、長い間、位の高い人だけ。庶民は、土地の雑穀や野菜、山菜、芋を糅た(加えた)粥や雑炊、ご飯を食べました。こうした「粥」や「雑炊」「糅飯」などがその土地に伝わる伝承ごはんの原形となりました。「南信州でごちそうになったトチの実がゆ、奈良県十津川村のとうもろこしがゆなどは印象深いですね」と奥村先生。

このほか、おしんで有名になった大根飯、そら豆を炊いた徳島の茶ごめなど、日本の各地にさまざまな糅飯がありました。

またこんな話もあります。米沢藩の上杉治憲は質素な生活を実践した藩主でした。人々の家の垣根に「うこぎ」を植えさせ、人々はその新芽をごはんに混ぜて食べました。その結果、諸藩が苦しむ中、米沢藩だけが飢饉を乗り越えたといいます。うこぎごはんは名藩主・上杉とともに米沢の方々の誇りとなって今に語り継がれているのではないでしょうか。

こうした糅飯を「質素ではあるけれども、貧しくはなかった」と奥村先生は言います。「もったいない」ということばが世界に認知されつつある今日、こうした先人たちの知恵が私たちの食に大きなヒントを与えてくれそうです。

雑穀より「長寿穀」と呼びたいですね

このような「粥」や「雑炊」「糅飯」を支えたのが雑穀でした。山間部でもたくましく育つ雑穀。先生は奥飛騨の山間部でヒエを栽培し食べていたという古老から、「ヒエは本当にのどを通らなくて。でもとろろをかけたらするするっとのどを通っていったよ」という貴重な話をきいたそうです。

「雑穀がなかったら、日本人は生きていけなかった。白米に足りないビタミンBなどの栄養が豊富な穀物たちを、私は雑穀ではなくぜひ「長寿穀」と呼びたいですね」と言います。

カゴメ・スマイルクラブ会報誌 やさいプレス2006AUTUMN Vol.24 から転載


                         トップページに戻る                   ▲ページの先頭に戻る

サイトマップ商品一覧
ふんわりシフォン日記お客様のご感想集Mrs.KURIの簡単レシピ集ふれあい写真館

FLOURひろ:〒145-0071東京都大田区田園調布1-31-11:tel 03(5755)5050